開催 :2001年 福岡アジア美術館
サイズ :56ページ 29×22cm
状態:
並(特に目立つ汚れやキズなどはありません)
状態:
特に目立つ汚れやキズなどはありません。
販売価格:5.000円
20世紀以降の家具デザインは、19世紀のものとは大きく違います。
19世紀までのデザインは、室内インテリア全体の付加的な装飾による美しさを求めたのに対して、20世紀に入ってからのデザインは、機械生産・量産体制を背景とした機能性の追求から生まれるという考え方をもとに、シンプルで軽快、開放的なモダン・デザインが生まれました。
現代までに様々な家具デザインが生み出されましたが、合理主義に基づくアメリカのデザイン、自然な材質を生かし暖かみを感じさせる北欧のデザイン、未来的なイタリアのデザインが出現し、そのデザインが日本の「和」デザインにも多くの影響を与えています。
家具の様々な機能は、快適な生活を送る上で欠かせません。機能の高度化と、感性を刺激する意匠とが結びついた様々なデザインの家具がたくさん生まれています。特に芸術や人間工学の対象ともされる椅子については、数多くのデザイナーが制作しています。
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アルヴァ・アアルト
Alvar Aalto(1898年-1976年)
1898年、フィンランドのクオルタネ生まれ。
1916年から1921年まで、ヘルシンキ工科大学において建築を学びます。
1923年、建築設計事務所を開設。
1928年、北欧においてモダニズム建築が台頭するきっかけになった作品、パイミオのサナトリウムを発表。
第二次世界大戦後は、マサチューセッツ工科大学客員教授を務め、フィンランドのロヴァニエミ復興都市計画に携わりました。
フィンランドが生んだ20世紀を代表する世界的な建築家で。その活動は建築から家具、ガラス食器などの日用品のデザインまでと多岐に渡ります。
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チャールズ・イームズ(チャールズ&レイ・イームズ)
Charles Eames(1907年-1978年)
1907年、アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイスに生まれます。
1925年からセント・ルイスのワシントン大学建築学科で学びます。
1930年、後にパートナーであり親友となるエーロ・サーリネンとその父、エリエル・サーリネンと
知合います。
1940年、エーロ・サーリネンとともにニューヨーク近代美術館開催の「オーガニック家具デザイン」コンペに応募。成型合板を使った椅子や棚などが6部門中2部門で優賞しました。
1941年、前妻と離婚し、1943年にチャールズ&レイ・イームズ事務所を設立するパートナー、レイと結婚。その後の生涯にわたる活動拠点となるロサンゼルスへ移ります。
その後も積層合板を使った、大量生産に向けた椅子をはじめとする家具など、多くの製品を開発しています。
イームズ邸、プライウッド・チェア、ラウンジチェア&オットマンなど、積層合板やプラスチック、金属といった素材を用いた代表作品を制作し、20世紀を代表するプロダクツデザイナーです。
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ル・コルビュジエ
Le Corbusier(1887年-1965年)
1887年、スイスのラ・ショー=ド=フォンに生まれます。
1908年、パリにて鉄筋コンクリート建築の先駆者であるオーギュスト・ペレの事務所で働き、1910年にはドイツ工作連盟の中心人物であったペーター・ベーレンスの事務所で働きます。
1911年、ベルリンから東欧、トルコ、ギリシャ、イタリアを巡る東方の旅へ。
1914年、鉄筋コンクリートによる住宅建設方法である「ドミノシステム」を発表します。
1928年に始まった、建築家たちが集まり都市・建築の将来について討論を重ねた国際会議、CIAM(近代建築国際会議)に参加、世界的に新しい建築の理念が確立されます。
1965年、死去。
近代建築の四大巨匠(ル・コルビュジエ、ヴァルター・グロピウス、ミース・ファン・デル・ローエと共に)のひとりとされています。
スラブ、柱、階段のみが建築の主要要素だとするドミノシステムを考案し、鉄筋コンクリートを使用し、装飾のない平滑な壁面処理、伝統から切り離された合理性を持ち合わせたモダニズム建築の先駆者として、また都市計画の分野でも活躍しました。
サヴォア邸、マルセイユのユニテ・ダビタシオン、チャンディーガル都市計画、ロンシャンの礼拝堂、東京国立西洋美術館(基本設計)、ラ・トゥーレット修道院など多数の代表作があります。
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ミース・ファン・デル・ローエ
Ludwig Mies van der Rohe(1886年-1969年)
1886年ドイツのアーヘン生まれ。1930年からバウハウスの代三代校長を勤めたモダニズムを代表するドイツの建築家です。
近代建築の四大巨匠(ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、ヴァルター・グロピウスと共に)のひとりとされています。
1927年、ドイツ工作連盟主催のシュトゥットガルト住宅展に参加、ル・コルビュジエやヴァルター・グロピウスらとともに実験的な集合住宅を建設。
1929年にバルセロナ万国博覧会ドイツ館、鉄とガラスで構成され、大理石の壁を配し、モダニズムの空間を実現したバルセロナ・パヴィリオンを設計。
1933年のナチスによるバウハウス閉鎖後アメリカに亡命。戦後は高層ビル、美術館、別荘などの設計に携わっています。
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アルネ・ヤコブセン
Arne Jacobsen(1902年-1971年)
1902年、デンマーク、コペンハーゲンで生まれる。
1927年デンマーク王立芸術学校卒。1930年までの3年間ポール・ホルソーの建築事務所で働き、20世紀モダニズムを代表する建築家、ル・コルビジェ、ルードヴィッヒ・ミース・ファン・デル・ローエらの影響を受けます。
1950年代には、20世紀の後半50年を通じて世界で最も売れたデザイン名作家具の一つ、使い手を第一に考えたアント(蟻)、エッグ(卵)、スワン(白鳥)の椅子を発表します。
1956年に竣工したデンマーク国内初の高層ビルであるラディソンSASロイヤルホテルでは、建物の設計からインテリアデザイン、照明やドアノブ、食器類などの細部までを一貫して手掛けています。
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ヘリット・トーマス・リートフェルト
Gerrit Thomas Rietveld(1888年-1964年)
1888年オランダのユトレヒトに生まれる。
1911年に自分の家具工場をはじめます。1918年、モンドリアンらとともに芸術運動デ・ステイルに参加。
椅子の名作「レッド&ブルー」や「ジグザグチェア」、世界文化遺産に登録された「シュローダー邸」
で知られています。
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エーロ・サーリネン
Eero Saarinen(1910年-1961年)
1910年、建築家エリエル・サーリネンの息子としてヘルシンキに生まれます。
1923年アメリカに移住、ミシガン州のクランブルック美術大学で教える父エリエルの講座に学び、その後イェール大学で建築学の学位を取得し卒業。
1948年、ジェファーソン・ナショナル・エクスパンション・メモリアルの主要部となる記念碑のデザインコンペで優勝、一躍注目を浴びる。
チューリップチェアに代表される、その曲線を用いた未来的なデザインや、ジョン・F・ケネディ国際空港のTWAターミナルビル、ダレス国際空港ターミナルなどの有名な作品があります。
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フランク・ロイド・ライト
Frank Lloyd Wright(1867年6月8日-1959年4月9日)
1867年、アメリカ、ウィスコンシン州に生まれます。
近代建築の四大巨匠(ル・コルビュジエ、ヴァルター・グロピウス、ミース・ファン・デル・ローエと共に)のひとりとされています。
1893年に、建築家としてシカゴで独立します。
「デザインとは、自然の要素を純粋に幾何学的な表現手段によって抽象することである」という言葉からもわかるように、一貫して自然と建築の共存を提唱し、有機的建築を数多く残しました。
1913年、帝国ホテル新館設計のために訪日。以後もたびたび訪日し設計に参加します。
ニューヨークのグッゲンハイム美術館や、ペンシルバニア州のカウフマン邸などが有名ですが、生涯に800以上の設計をし、半分以上を形にしたライトは建物や住居だけでなく、家具やテキスタイル、照明、景観までをデザインしました。
全体として統一した創造姿勢はデザインの領域を押し広げ、20世紀の建築と装飾芸術の発展に深遠な影響を与えました。
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マルセル・ブロイヤー
Marcel Lajos Breuer(1902年-1981年)
1905年ハンガリーで生まれます。
モジュール構造と単一形態の重要性を提示したモダニズムの建築家です。
1920年代、バウハウスで学び、後に教官となります。
1925年、バウハウスを代表する作品、世界初のスチールパイプを使用したイス、ワシリーチェアを制作。
1930年代、ナチスの台頭によりロンドンへ、その後アメリカへ移住。
戦後、ニューヨーク近代美術館デモンストレーション・ハウス、パリのユネスコ本部などを設計。
芸術とテクノロジーの融合した工業製品、家具同様に工業部材を用いた、明快な理論を持つモダニズム建築から、晩年の曲線美や彫刻的な表現を特徴とするブルータリズムの先駆としてデザイン・建築分野に数々の名作を残しました。
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ハンス・ヨルゲンセン・ウェグナー
Hans Jørgensen Wegner(1914年-2007年)
1914年、南ユトランド生まれ。
23歳の時コペンハーゲン美術工芸学校に入学。家具設計を専攻。
1940年から1943年にかけて、アルネ・ヤコブセンの事務所に勤務、その後独立。
中国の明の時代に作られた椅子を改良して生みだした代表作、「チャイニーズ・チェア」を1943年にデザインします。
その後、世界で最も売れたイスのひとつ「Yチェア」など、様々なチェアをデザインしています。
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チャールズ・レニー・マッキントッシュ
Charles Rennie Mackintosh(1868年-1928年)
1868年、スコットランド、グラスゴー生まれ。
16歳のときに、ジョン・ハッチソンという建築家の元に見習いに出て、1889年までそこで過ごした後、ハニーマン&ケッピー設計事務所で製図係りとして働く傍ら、グラスゴー美術学校の夜間部でデザインとアートを学ぶ。
27歳の若さで、母校でもあるグラスゴー美術学校の新校舎の設計コンペに優勝。
グラスゴーのティー・ルーム(Willow Tea Room)のインテリアデザイン、ヒルハウスの設計などを残しました。
アーツ・アンド・クラフツ運動の推進者であり、スコットランドにおけるアール・ヌーヴォーの提唱者です。
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アイリーン・グレイ
Eileen Gray(1878年-1976年)
1878年アイルランド生まれ。
日本の工芸家から学んだ漆の枝術を活かして、アール・デコの作風の工芸品、家具、インテリアアクセサリーを制作・発表しています。
1937年パリ博覧会でル・コルビュジェ等の励ましと影響を受け建築の世界に傾倒し。
1972年に英国王立芸術家協会より王立産業デザイナーに任命、RDIの称号を授与、またアイルランド王立建築協会からも賞を受けています。
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イサム・ノグチ
Isamu Noguchi(1904年-1988年)
1904年ロサンゼルス生まれ。
コロンビア大学に入学し、医師を志すかたわらレオナルド・ダ・ビンチ美術学校で彫刻を学びます。
その後、パリへ渡り留学生活を送る。その後、北京、日本と渡る。
1947年にハーマンミラーのデザインディレクターであったジョージ・ネルソンに請われ「ノグチ・コーヒーテーブル」を発表します。
世界を代表する偉大な日系アメリカ人彫刻家です。
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ジオ・ポンティ
Gio Ponti(1891年-1979年)
1891年ミラノ生まれ。
ミラノ工科大学卒業後、1923年から1930年まで陶磁器メーカーのリチャード・ジノリ社に勤務しています。
1928年に、著名なイタリアの建築デザイン雑誌「Domus」を創刊。1936年から1961年までミラノ工科大学で教鞭を執っています。
代表作は、家具では超軽量な椅子スーパーレッジェーラ、建築ではミラノのピレリ・ビルなど。
戦後のイタリアデザイン界を代表する、「イタリア建築デザイン界の父」と称される偉大なデザイナーです。
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テレンス・コンラン
Terence Conran(1931年-)
1931年イギリス、サリーのイーシャー生まれ。
ロンドンのデザインの名門セントラル・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインでテキスタイルを学びます。
1952年にフリーのデザイナーとなり、1956年にはコンラン・デザイン・グループを設立して「Summa」 ブランドの家具の製作を開始。
1990年代に日本やアメリカに「ザ・コンランショップ」やレストランを次々にオープンさせています。現在では世界四都市に30店以上のレストランやカフェを展開する、世界中に数多くのファンをもつ家具デザイナーとして活躍しています。
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トーマス・チッペンデール
Thomas Chippendale(1718年-1779年)
イングランド北西部ヨーク地方出身。
イギリスの家具デザイナーで、ロココ家具メーカー創始者。
世界最初の家具デザイナーと言われています。流れるような美しい曲線はチッペンデール・スタイルと呼ばれ、近代に続く家具デザインの源流となっています。
アンティークファンにはたまらなく魅力のある家具をデザインしています。
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ミヒャエル・トーネット
Michael Thonet(1796年-1871年)
曲木技術の発明者であり、家具メーカー、トーネット社の創業者です。
1836年、木を蒸して柔らかくしてから曲げる曲木の技法を発明し、これを工場で大量生産します。
ロッキングチェアが有名で、ル・コルビュジェやピカソなどの著名人が愛用しています。
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ジャン・プルーヴェ
Jean ProuvE(1901年-1984年)
1901年、フランス、パリに生まれます。
父、ヴィクトール・プルーヴェがナンシー派の工芸家であったため、アール・ヌーヴォーの一大拠点であったナンシーの地で多くの工芸品に囲まれて育ちます。
1931年、自身のアトリエを設立。家具やドア、建築を手掛け、1937年のパリ万博には、ル・コルビュジェやピエール・ジャンヌレと共同製作したバスルームを出品しました。
構造から建築の工業生産(プレハブシステム)など様々なエンジニアとしても活躍し、デザインから技術までにすべて長けており、スチールパネルによる可動間仕切りにおいては特許を取得、アルミを建築材料として採用した先駆として、レンゾ・ピアノ、ノーマン・フォスター、ジャン・ヌーヴェルら、ハイテク建築とよばれる作品を多く世に送り出している現代建築家たちに影響を与え、建築生産の工業化に大きな役割を果たしました。
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フィリップ・スタルク
Philippe Starck(1949年-)
1949年、パリ生まれ。
パリ装飾美術学校で学びその後、ピエール・カルダンのスタジオでアートディレクターを務めます。
1980年にデザイン事務所、スタルク・プロダクツを設立。
1982年、当時のフランス大統領フランソワ・ミッテランの目にとまり、エリゼ宮にフランス大統領専用室を設計。
その後多くのレストラン、カフェからホテルの内装を手掛け、インテリアから工業デザイン、さらに建築までもデザインし、独創的なスタイル表現で世界のトップデザイナーとして君臨しています。
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ジョージ・ネルソン
George Nelson(1908年-1986年)
1908年、コネチカット州ハートフォード生まれ。
31年にイエール大学で建築の学位を取り、さらにローマのアメリカンアカデミーで学んだ後、ニューヨークでウイリアム・ハンビーと建築事務所を設立します。
1946年から1966年までの20年間、ハーマンミラー社のデザイン部長として、イームズ夫妻の才能をモダン家具に実現させました。
自身も、マシュマロソファ、ココナッツチェアなどの名作と、高いアート性を有するネルソンクロックシリーズで、21世紀の家具デザイナーとして大きな足跡を残しています。
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ヨーゼフ・ホフマン
Josef Hoffmann(1870年-1956年)
1870年、チェコのピルニッツ生まれ。
ブリュンの国立工芸学校卒業後、ヴュルツブルクの軍事施設建設局に勤めた後、ウィーン美術学校に進学しオットー・ヴァーグナーの下で学びます。
1897年、ウィーン分離派へ参加。1903年コロマン・モーザーとともにウィーン工房を設立。
ウィーン工房は32年に経営難のため解散。晩年はイタリア、ヴェニス国際ビエンナーレのオーストリア代表や芸術審議会の委員など公的な役職を数多く歴任しました。
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ロン・アラッド
Ron Arad(1951年-)
1951年、イスラエル生まれ。
エルサレムのアートアカデミーで学んだ後、ロンドン建築協会を経て、1989年、自身のスタジオを設立。
ミラノ国際家具見本市において、1998年の真空アルミニウム成形の椅子「Tom Vac」、1999年の座から背が1枚のアクリル板で作られた「F.P.E.(Fantastic Plastic Elastic)チェア」など発表。彫刻的なデザインとともに、実用性に富んだ家具を発表しています。
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アレッサンドロ・メンディーニ
Alessandro Mendini(1931年-)
1931年、イタリア・ミラノ生まれ。
ミラノ工科大学で建築を学び、1980-1985年にはイタリアの建築&デザイン雑誌「ドムス」の編集長を務めます。
1994年、ALESSIの有名なワインオープナー 「アンナG」をデザイン。
現在はアレッシィ社のイメージ・ディレクターとして、アレッシィ社屋、アルベルト・アレッシィ氏宅、そして全世界のアレッシィ ショップの内装も手掛けています。
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アッキーレ・カスティリオーニ
Achille Castiglioni(1918年-2002年)
1918年イタリア、ミラノ生まれ。
ミラノ工科大学の建築学科を卒業後、1944年から兄のピエール・ジャコモとともに建築家・デザイナーとしてスタートしました。
1962年のフロス社創設にデザイン部門責任者として兄弟で参加。1960年代のイタリア照明界の代表デザイナーとなります。
イタリアデザインのマエストロ、革新的工業デザインのパイオニアなど、世界的に高い評価を得ているデザイナーです。
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マイケル・グレイヴス
Michael Graves(1934年-)
1934年インディアナポリス生まれ。
1964年から建築家として活躍。1962年からプリンストン大学で建築学の教鞭を執る。
様々なオフィス、美術館、官庁などのポストモダン建築を100作品以上、1960年代後半から世界中で手がけており、一連の家具デザインで人気を博しているほか、プロダクトデザインもアレッシィを中心に精力的にてがけています
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ロス・ラブグローブ
Ross Lovegrove(1958年-)
1958年、ウェールズのカーディフ生まれ。
1980年、マンチェスター工科大学、1983年、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブアートを卒業。
80年代初期はドイツのフロッグ・デザインにデザイナーとして所属し、ソニーのウォークマン、アップルコンピュータなどプロジェクトに関わっています。
英国を代表するプロダクト・デザイナーとして、世界的に高い評価を得ています。
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エンツォ・マリ
Enzo Mari(1932年-)
1932年、イタリア、ノヴァーラ生まれ。
ミラノのブレラ美術アカデミーを卒業後、(ダネーゼ社でプロダクトデザインを手掛けています。
視覚心理学を研究し、3次元知覚と工業デザインを融合し、独自の世界を構築。妻のイエラ・マリとともに知育絵本などの出版やグラフィックデザインも手がけています。
イタリアモダンデザインを代表する巨匠です
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エットレ・ソットサス
Ettore Sottsass(1917年-2007年)
1917年オーストリア・インスブルック生まれ。
トリノ工科大学建築学科卒業後、自身のスタジオを開設します。
1958年、オリベッティ社のインダストリアルデザインの主任顧問に就任し、デザインを手掛け名声を得ます。
1980年、マルコ・ザニーニらと、ソットサス・アソシエイツを設立。翌81年、世界から集まった30歳代の若手デザイナー・建築家らとメンフィスを結成。
20世紀後半を通して、常にデザイン界をリードしてきたデザイナーです。
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内田繁
(1943年-)
1943年、横浜生まれ。
桑沢デザイン研究所所長を務め、世界各国での講演、国際コンペティションの審査、世界のデザイナーの参加するデザイン企画のディレクションなどに参加し、日本を代表するデザイナーとして国際的評価を受けています。
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柳宗理
(1915年-)
1915年、東京生まれ。
1940年、東京美術学校洋画科卒業。その後坂倉準三事務所を経て、1952年柳デザイン研究会を設立。
1954年発表のバタフライ・スツールが有名です。東京オリンピックの聖火リレーのトーチ・ホルダーや競技場の座席をなどをデザインするなど、家具だけではなく、自動車や高速道路、橋など幅広くデザインを手掛けています。
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倉俣史朗
(1934年-)
1934年、東京生まれ。
1956年に桑沢デザイン研究所・リビングデザイン科を卒業。
1965年にクラマタデザイン事務所設立。
1981年、エットレ・ソットサスの誘いで革命的デザイン運動「メンフィス」に参加。
インテリアデザイナーとして商業空間、家具・照明など、創造的なデザインで注目されたデザイナーです。
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深澤直人
(1956年-)
1956年、甲府生まれ。
1980年、多摩美術大学プロダクトデザイン科卒業。
2003年、Naoto Fukasawa Design設立。
60を越える世界各国のデザイン賞を受賞し、多くの企業から革新的なプロダクトを発表しています。現代日本を代表するデザイナーのひとりです。
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第一次世界大戦中の1917年、オランダのライデンで建築家・画家のテオ・ファン・
ドースブルフによって創刊した雑誌とそれに賛同する芸術家グループです。
水平線・垂直線・直角・正方形・長方形・三原色・非装飾性が特徴の新造形主義を当初
理念とし、後に対角線を導入した要素主義を展開し、後のバウハウスにも大きな影響を
与えました。
世界遺産にも登録されているシュレーダー邸を設計し、椅子のデザインでも有名な
ヘリット・トーマス・リートフェルトや、アムステルダムで都市プロジェクトに関わる
コーネリアス・ファン・エーステレン、戦後オランダの数々のビルディング建築を設計
したヤコブス・ヨハネス・ピーテル・アウト、世界で初めての映画専門の建築理論を
構築した劇場建築家、フレデリック・キースラーなどが参加しています。
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ヘリット・トーマス・リートフェルト
Gerrit Thomas Rietveld(1888年-1964年)
1888年オランダのユトレヒトに生まれる。
1911年に自分の家具工場をはじめます。1918年、モンドリアンらとともに芸術運動デ・ステイルに参加。
椅子の名作「レッド&ブルー」や「ジグザグチェア」、世界文化遺産に登録された「シュローダー邸」
で知られています。
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テオ・ファン・ドースブルフ
Theo van Doesburg(1883年-1931年)
1883年、オランダ、ユトレヒト生まれ。
1917年、オランダ・ライデンにて、ピエト・モンドリアン、バート・ファン・デル・レックらとともにデ・ステイルを結成。
1920年代、バウハウス、ロシア構成主義やダダイストなどと幅広く交流。
主張する要素主義による、垂直や、斜線を使った絵画や、それを表現した建築、家具などを発表しています。
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ピエト・モンドリアン
Piet Mondrian(1872年-1944年)
1872年オランダで生まれます。ワシリー・カンディンスキーと並び、本格的な
抽象絵画を描いた先駆者とされています。
1912年、パリへ。キュビズムの影響を受ける。そして、さらに進化し、
抽象的な造形に変化。
1914年、オランダへ一時帰国、垂直線と平行線による画面構成が始まります。・
1921年、代表作である、水平・垂直の直線と三原色から成る「コンポジ
ション」の作風が確立。
1925年、「新造形主義」をバウハウス叢書として出版。急進的な抽象展開
のため、芸術雑誌「デ・ステイル」を離脱。
大戦のため1938年よりロンドン、そしてニューヨークへ移住。
1944年、ニューヨークにて没。
具象から、キュビズムを突き抜け、色彩と形態のみでの純粋な造形という
未開の表現方法を切り開き、その造形言語は後世多大な影響を与えました。
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ヤコブス・ヨハネス・ピーテル・アウト
Jacobus Johannes Pieter Oud(1890年-1963年)
1890年、オランダ、プルメレント生まれ。
1910年代後半から1930年代にロッテルダムで多くの住宅建築プロジェクトに携わります。
モダニズムの建築家として知られ、機能性と居住性を追求する住宅建築を数多く設計しました。
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コーネリアス・ファン・エーステレン
Cornelius van Eesteren(1897年-1988年)
テオ・ファン・ドゥースブルフとともにデ・ステイルを主導。
1929年から1960年までの長きに渡ってオランダ・アムステルダム市で都市計画で活躍したオランダを代表する都市計画家です。
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フレデリック・キースラー
Frederick Kiesler(1890年-1965年)
1890年、ウィーン生まれ。
1920年代から、ウィーン、ベルリンで劇場と芸術展示デザイナーとして活躍し、劇場建築などを主に手がけ、世界で初めて映画専門の建築理論を構築した建築家です。
デ・ステイルには1923年に参加しています。
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ヤン・ヴィルス
Jan Wils(1891年-1972年)
テオ・ファン・ドゥースブルフとともにデ・ステイル創立メンバーのひとりです。
1928年アムステルダム・オリンピックのスタジアムを設計したことで有名な建築家です。。
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ジュルジュ・ファントンゲルロー
Georges Vantongerloo(1886年-1965年)
1886年、ベルギー・アントワープ生まれ。
1905年から1909年まで、アントワープとブリュッセルの美術アカデミーで学び、1917年にテオ・ファン・ドゥースブルフとともにデ・ステイルを創設します。
1931年、パリで「アプストラクシオン=クレアシオン(抽象=創造)」を設立し、抽象的な絵画や彫刻を数多く制作しました。
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バート・ファン・デル・レック
Bart van der Leck(1876年-1958年)
1876年、ユトレヒト生まれ。
ユトレヒトのガラス工房で学び、建築家クラール・ハーマーに師事。
1917年にテオ・ファン・ドゥースブルフとともにデ・ステイルを創設します。
1920年デ・スティルを去り、テキスタイル、陶芸、家具のデザインで活躍しました。
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フィルモス・フサール
Vilmos Huszár(1884年-1960年)
1884年、ハンガリー、ブダペスト生まれ。
1905年オランダに移住し、1917年にテオ・ファン・ドゥースブルフとともにデ・ステイルを創設します。
キュビスムと未来主義に影響された絵画、グラフィック、室内装飾、パッケージデザインなどを手掛けています。
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1910年代初頭にロシアで誕生し1917年ロシア革命を契機にソビエト連邦誕生時を経て、大衆に広まった、キュビスム、未来派、構成主義を中心とした前衛芸術運動の総称です。その分野は建築、プロダクトデザイン、写真、映画、音楽、文学、グラフィックなどと多岐にわたり、社会的・政治的な問題と密接に繋がった芸術と言えます。
第一次大戦間において、次第にカジミール・マレーヴィチに代表されるシュプレマティスムならびにウラジーミル・タトリン等に代表されるロシア構成主義が台頭し、ロシア革命後は表現上の革新と政治革命により、プロパガンダ・アートが開花しました。
その後1930年代に吹き荒れたスターリニズムと社会主義リアリズムにより衰退し終息を迎えます。
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ウラジーミル・タトリン
Vladimir Tatlin(1885年-1953年)
1885年、ウクライナ、ハリコフ生まれ。
1920年代ソビエト連邦のロシア・アヴァンギャルドおよびロシア構成主義の代表的な作家のひとりで、建築、彫刻、絵画、デザインなど多岐にわたって活躍し、彼の前衛的思想は、後世の建築家・芸術家に大きな影響を与えました。
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アレクサンドル・ロトチェンコ
Aleksander Rodchenko(1891年-1956年)
1891年、サンクトペテルブルグ生まれ。
カザン美術学校で学び、1914年モスクワに移り、タトリンらとともに抽象的な絵画、立体を発表し、構成主義を積極的に推し進めます。
1921年に絵画を放棄した後、詩人マヤコフスキーと親交を結び、共同でポスターを制作し、グラフィックデザインに新風を吹き込み、また、舞台装置、工業デザインなども手掛けました。
1924年頃より写真の撮影を開始。ポートレートや風景写真を多数残し、彼の作品は、現在の美術家、デザイナー、建築家、写真家などにも影響を与えています。
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エル・リシツキー
El Lissitzky(1890年-1941年)
1890年、スモレンスクの郊外生まれ。
1909年、ドイツのダルムシュタット工科大学に入学し建築の勉強を始めます。
1919年から1921年にかけて「プロウン」(新しいものの確立のプロジェクト)と題された、フォルムと構成の建築様式的な実験モデルを制作。
1923年にソビエト国家主導で「フォトモンタージュ研究所」を設立。
ロシア構成主義の一員であり、グラフィック・デザイン、ブック・デザイン、建築、写真など多数の作品を残しています。
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ナウム・ガボ
Naum Gabo(1890年-1977年)
ロシア構成主義を初めに提唱した人物といわれています。
金属、ガラス、針金やプラスチックでつくられる、新しい彫刻の形を求めた作品を発表しています。
1923年にスターリニズムから逃れベルリン、ロンドン、パリ、アメリカへと移住。
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カジミール・マレーヴィチ
Kasimir Malevich(1878年-1935年)
1878年、キエフ近郊に生まれます。
1910年頃に、キュビスムや未来派の強い影響を受けて派生した、色彩を多用しプリミティブな要素を持つ「立体=未来派(クボ・フトゥリズム)」と呼ばれる傾向の作品を制作。
その後の1910年代半ばに、無対象を主義とする抽象性を徹底した「シュプレマティスム(絶対主義)」を主張します。
シュプレマティズム絵画の制作に従事して以降、マレーヴィチはしばらく絵画から遠ざかり、建築の分野での考察を開始し、彫刻/オブジェを制作します。
やがてスターリニズムの嵐が吹き荒れる1930年代には、写実的な具象絵画に戻り、その一生を終えています。
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ウラジーミル・シューホフ
Vladimir Shukhov(1853年-1939年)
1853年、ロシア、クルスク地方生まれ。
1871年に帝国モスクワ工業学校(現モスクワ工科大学)に入学。
その後、アゼルバイジャンのバクーにあった石油施設の設計に従事し、ロシア初の石油パイプラインの設計に参加。
汎ロシア博覧会の給水塔・パビリオン、キエフ駅のプラットフォーム、シャーボロフスカヤのラジオ塔など、シューホフ・タワーと総称される、鉄線を格子状に組んで双曲面建築構造の外観をもつ塔を創出し、ロシア・アヴァンギャルド建築に多大な影響を与えました。
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ナターリア・ゴンチャローワ
Natalia Goncharova(1881年-1962年)
1881年、ロシア、トゥーラ近郊に生まれます。
モスクワ美術アカデミーに彫刻を学び、ロシア民芸のプリミティヴな側面に深く触発されて絵画を制作。
1911年にミュンヘンの前衛美術グループ「青騎士」に創設メンバーとして加入します。
革命前夜のロシア前衛芸術運動の主要な作家であり、未来派の指導者として活躍。
1939年にフランスに帰化し、1962年パリで亡くなります。
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ステンベルグ兄弟
Vladimir Stenberg (1899年-1982年) and Georgii Stenberg (1900年-1933年)
モスクワ生まれ。
ロシア構成主義を代表する作家です。
数多くのグラフィックを制作しています。特に「戦艦ポチョムキン」「十月」などの映画ポスターは、ロシア・アヴァンギャルドを代表する傑作と言われています。
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ミハイル・ラリオノフ
Mikhail Larionov(1881年-1964年)
1881年、現モルドヴァ共和国のティラスポリ生まれ。
1900年にナターリヤ・ゴンチャローワと出逢い、生涯の伴侶となります。
「ダイヤのジャック」(1909年-1911年)と「ロバの尻尾」1912年-1913年)といった急進的な芸術集団を結成。1911年、抽象芸術の一派たるレイヨニスムを提唱し、革命前のモスクワ前衛美術運動の中心的な作家でした。
1915年にパリに移住し、その後は夫人とともにディアギレフのロシア・バレエ団のための舞台装置を手掛けています。
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コンスタンチン・メーリニコフ
Konstantin Melnikov(1890年-1974年)
1890年、モスクワ生まれ。
1924年レーニン廟、1925年パリ現代産業装飾芸術万国博覧会ソ連パビリオンを発表し、世界的にも注目を浴びるようになります。
1920年からは、モスクワ高等芸術技術工房で教鞭をとるようになります。
1933年、ル・コルビュジェ, ミース・ファン・デル・ローエらとともに第5回ミラノ・トリエンナーレの招待を受け参加。
1937年、スターリニズムの余波を受け、形式主義者として糾弾され隠棲同様の生活を余儀なくされ、その後1965年に名誉を回復します。
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1970年代後半、色の再現性や保存の問題といった技術的な問題もほぼ解消され、アメリカの新しい世代の写真家たちが、カラー写真を表現の手段として利用していこうとする流れが定着していくようになります。
1976年にニューヨーク近代美術館で開催されたウィリアム・エグルストンの個展がきっかけとなり、70年代後半には、多くの写真家たちがカラー写真を使い始めるようになりました。
このムーヴメントは、写真評論家サリー・オークレア著「ザ・ニュー・カラー・フォトグラフィ(1981)のタイトルから、「ニュー・カラー」と呼ばれるようになります。
それまで、カラー写真は芸術作品ではないという評価を、美術界からは受けていました。
「ニュー・カラー」はそれまでの写真芸術の規範を大きく覆す事件であり、世界の写真家たちに大きな影響を与えました。
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ウィリアム・エグルストン
William Eggleston(1939年-)
1939年テネシー州生まれ。
大学時代にアンリ・カルティエ=ブレッソンやウォーカー・エヴァンズの写真集に影響を受けて写真家を目指し、1960年代からカラー写真に専念します。
1976年、ニューヨーク近代美術館にて、同館で初めてのカラー写真家の個展が開催され、カラー写真の芸術家として高い評価を得ました。
アメリカ南部の風景や生活を、カラー写真で絵のように表現しています。
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スティーブン・ショア
Stephen Shore(1947年-)
1947年、ニューヨークで生まれます。
17歳のときにアンディ・ウォーホルのファクトりーの常連となり、ウォーホルやその取り巻きたちの写真を撮影し、23歳の時にメトロポリタン美術館で個展を開催しました。
カラー写真の分野のパイオニアで、写真の世界における無類の先駆者と言われる写真家です。
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ジョエル・マイヤーウィッツ
Joel Meyerowitz(1938年-)
1938年、ニューヨーク生まれ。
オハイオ州立大学で美術を学び、卒業後アート・デレクションやデザインの仕事を行い、その後写真家へ。1963年からスナップ・ショットやカラー風景写真などを発表して高い評価を得ます。
現在では、アメリカ写真界のニューカラー写真分野で、ウイリアム・エグルストンらとともに代表作家のひとりとして評価されています。
2001年9月11日に発生した同時多発テロの現場、世界貿易センタービル倒壊跡地を9ヶ月にわたり撮影したことでも有名です。
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ジョエル・スターンフェルド
Joel Sternfeld(1944年-)
1944年ニューヨーク生まれ。
1970年代からアメリカの日常風景を鋭くとらえる、ニューカラーの写真家です。
郊外の住宅地やショッピングセンター、牧草地、リゾートなど、アメリカの風景を独特のカラーフォトで表現しています。
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リチャード・ミズラック
Richard Misrach(1949年-)
1949年カリフォルニア生まれ。
40年以上にわたって砂漠の環境の変化を記録するなど、アメリカの社会や文化の問題を、カラー写真で表現しています。
アメリカの現代フォトグラファーのなかで、最も影響力のあるひとりと言われています。
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ヘレン・レヴィット
Helen Levitt(1913年-2009年)
1913年、ニューヨーク・ブルックリン生まれ。
1930年代から、アンリ・カルチェ=ブレッソンのスタイルに影響を受けたモノクロの、ニューヨークのスナップフォトを撮影。1940年代に高い評価を受けています。
1959年と1960年にニューヨークのストリートをカラーで撮影し、1970年代にもカラーにて撮影、1974年にニューヨーク近代美術館でスライドショー形式で作品が紹介されています。
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ジョン・ファール
John Pfahl(1939年-)
1939年、ニューヨーク生まれ
1970年代から活躍する、アメリカの社会や文化の問題を、シリーズのランドスケープ・フォトグラフで表現しています。
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ルイス・ボルツ
Lewis Baltz(1945年-)
1945年、カリフォルニア生まれ。
サンフランシスコ・アート・インスティチュートで学び、1956年から写真家としての活動を開始し、1970年代後半からトポグラフィックな風景写真を撮影しています。
荒廃と破壊の美しさを感じる風景写真が特徴です。
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ジョン・ ディヴォラ
John Divola(1949年-)
1949年、ロサンゼルス生まれ
1978年から79年にかけて、海辺の室内風景を撮ったシリーズ「Zuma」で高い評価を得ます。
1995年から98年にかけて、南カリフォルニアの砂漠地帯で撮影された「Dogs chasing my car」を発表。
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レオ・ルビンファイン
Leo Rubinfien(1953年-)
1953年、シカゴ生まれ。
カリフォルニア・インスティテュート・オブ・アーツ(写真専攻)、イェール 大学大学院(写真専攻) などに学び、1970年代末に写真家として活動を開始。
ニュー・カラーの、最も若い担い手のひとりとして評価されています。
アメリカ同時多発テロ事件以降、2002年から6年にわたって、ニューヨークをはじめ、ロンドン、マドリッド、モスクワ、イスタンブール、東京など、近年テロ事件の起きた世界各地の都市を訪ね、ストリートスナップの手法で、街を行きかう人びとの顔を撮影、写真集「傷ついた街」を発表。
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ミッチ・エプスタイン
Mitch Epstein(1952年-)
1952年、マサチューセッツ、ホールヨーク生まれ。
ニューヨーク・クーパー・ユニオンで、ゲイリーウィノグランドの生徒として学びます。
1970年代にインドを撮影した写真集を発表。1992年から1995年までベトナムを撮影。
2004年から2009年まで、アメリカの国土でいかにエネルギーが生産され消費されているかというテーマに撮影し、2009年に写真集「American power」を発表しています。
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ジャン・グルーヴァー
Jan Groover(1943年-)
1943年、ニュージャージー州生まれ。
1970年オハイオ州立大学卒業。
フランス在住の、テクノロジカルなカラーの静物写真を得意とする女性写真家です。
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開催 :1994-1995年 横浜美術館ほか
サイズ :333ページ 22×15cm
状態:
表紙や天部・小口に経年的なヤケ・薄汚れが少しありますが、
ページ内はきれいな状態です。
sold-out
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著者名 :Catherine De Smet
出版社名:Lars Muller Publishers
発行年月:2007年
サイズ :128ページ 29×22cm
状態:
特に目立つ汚れやキズなどはありません。
sold-out
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写真と建築の作品集を専門に扱うサイトをそれぞれ
オープンしました。
順次商品の登録をしていく予定ですので
よろしくお願いします。
フォト・セシル
(http://www.photo-cecile.jp/)
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セシル・アーキテクチュア
(http://www.cecile-architecture.jp/)
著者名 :Janet Mehigan
出版社名:Search Pr Ltd
発行年月:2001年
サイズ :96ページ 29×22cm
状態:
並(特に目立つ汚れやキズなどはありません)
sold-out
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著者名 :Ruari McLean
出版社名:Princeton Architectural Press
発行年月:1997年
サイズ :128ページ 25×25cm
状態:
使用感なく、きれいな状態です。
sold-out
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