ミース・ファン・デル・ローエは、近代建築の三大巨匠の一人に数えられています。家具デザインで有名なミース・ファン・デル・ローエの功績を追ってみましょう。
ミース・ファン・デル・ローエは、1886年3月27日にドイツのアーヘンで生まれました。地元の職業訓練学校で製図工としての技術を習得し、1906年にブルーノ・パウルの事務所に入社。1907年に最初の建築を手がけました。その後、1908年から1912年まで建築家ペーター・ベーレンスの事務所に勤務したのち、1912年に独立しています。
ミースは、1929年のスペイン バルセロナ万国博覧会で、ドイツのパビリオンを建設しました。このパビリオンは鉄とガラスと大理石を使ったモダニズム建築です。ちなみに、このパビリオン用にミースがデザインしたバルセロナ・チェアという椅子は、現在でも高く評価されています。
ミースは当時勢力を誇っていたナチスの影響で1938年にアメリカに亡命すると、シカゴのアーマー大学建築学科の主任教授になりました。その後、アメリカでシーグラムビル、レイクショアドライブ・アパートメントなど、数々の高層ビルを建築して高い評価を得ています。三代巨匠の建築家の一人として1969年に亡くなるまでに様々な作品を残しています。
また、ミースは「Less is more.」(より少ないことは、より豊かなこと)や「God is in the detail」(神は細部に宿る)という言葉でも知られています。「Less is more.」は、まさに無駄な装飾を排したモダニズム建築の素晴らしさを、端的に語る言葉として今に伝えられています。