日本における芸術写真の始まりは、1905年ごろと考えられます。
秋山轍輔(1880―1944)が1904年ゆふづつ社を結成し、ピクトリア
リズムの代表的技法となったピグメント法を研究しました。
大阪では1904年にアマチュア団体浪華写真倶楽部が創立され、現在ま
で続いています。
1920年淵上白陽の日本光画芸術協会、1923年鈴木八郎らの表現社、
1924年福原信三の日本写真会などの団体が続々と結成。
1921年「カメラ」、「写真芸術」、1924年「フォトタイムス」な
どの写真雑誌が発刊されます。
1929年、上田備山の丹平写真倶楽部、1930年、中山岩太の芦屋カ
メラクラブ結成。
1930年、「フォトタイムス」誌主幹の木村専一が新興写真研究会
を結成し、ヨーロッパのアバンギャルド写真を紹介し、日本にもモ
ダニズムが開花します。1932年、野島康三と福原信三による月刊写
真雑誌「光画」を創刊します。浪華写真倶楽部の安井仲治が都市風
俗を繊細鋭利なリアリズムで追求。
小石清は都会人の精神的ストレスを超現実主義的手法でとらえます。
1933年、ドイツでルポルタージュを学んだ名取洋之助が日本工房を
設立。「光画」や日本工房に参加した木村伊兵衛が登場。堀野正雄
は機能主義美学にたって機械的建造物の構造美に迫り、渡辺義雄は
新即物主義的な作風で建築や都市風俗を撮りました。
土門拳は日本工房に参加後、社会的リアリズムを踏まえつつ、古寺、
仏像、人物、社会問題などを撮って民族の伝統とその課題に迫りました。
戦後、木村伊兵衛、土門拳、濱谷浩は新しい姿勢で写真活動に復帰。
林忠彦はたくましく復興する戦後を描き、秋山庄太郎や大竹省二は
ファッションや芸能、芸術の世界へと、三木淳は「ライフ」誌のスタ
ッフ写真家として国際的に活躍しました。
1959年、川田喜久治、佐藤明、丹野章、東松照明、奈良原一高、細
江英公が自主的な制作活動の拠点としてのグループ「VIVO(ビボ)」
を結成します。
東京オリンピックの開催を契機に、立木義浩、篠山紀信、横須賀功光、
早崎治らがファッション性豊かな雑誌で活躍。
長野重一が秀逸な作品を生み、富山治夫は風刺のきいた時評写真を撮り、
桑原史成と英伸三は社会の現実を撮ります。
高梨豊、中平卓馬、森山大道らは「プロヴォーク」を1968年に刊行し、
自我の本質を問う作品、都市とその生命感のダイナミズムを問う作品を
制作しました。
1980年代には出版文化は盛況で写真家の活躍の場は多く、カメラ、写真
感光材料メーカーの設けたギャラリーが写真作品発表の場として活況。
入江泰吉の記念館ともいえる奈良市写真美術館はじめ写真部門をもつ美
術館が相次いで開館しました。
植田正治や杉本博司、柴田敏雄らは完成度の高い鑑賞性の高い写真を撮り、
荒木経惟は都市、エロス、死生観を世に問い、自身の変幻を写真にする
森村泰昌、若い人気女性写真家ヒロミックスや蜷川実花らが登場します。
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藤原新也
星野道夫
HABU
HIROMIX(ヒロミックス)
ハービー・山口