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情報を伝える媒体の一つ、絵画的な視覚化表現であるイラストレーションはその起源を先史時代の洞窟壁画に求めることができます。印刷技術が発明された15世紀ヨーロッパに木版による挿絵が登場します。
そして16世紀の製版術の進歩による銅版画、18世紀の石版画が登場し、大量のイラストレーションを使用した出版物が世に出され始めました。
上記の印刷技術の発達により、大衆的な新聞がめざましく普及した19世紀初頭、風刺画によるジャーナリズムのイラストレーションが展開されるようになります。
そして一般大衆向けの印刷物、雑誌が出現し、新しい印刷技術が発明された19世紀後半、ヨーロッパとアメリカ合衆国で「イラストレーション
の黄金時代」を迎えることとなりました。
19世紀後半かけて、フランスでは幻想的なイラストレーションを制作したギュスターヴ・ドレ、アール・ヌーヴォーの発展によりアルフォンス・ミュシャ、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックによるポスター芸術が登場し、またイギリスではラファエル前派の影響やアーツ・アンド・クラフツのデザインを取り入れ、神話や説話をモチーフにしたアーサー・ラッカムや、ヴィクトリア朝様式の衣裳の動物たちを描いたビアトリクス・ポター、アール・ヌーヴォーを取り入れた白黒のイラストレーションのオーブリー・ビアズリーが登場します。
1910年代からのアール・デコ期は、カッサンドル、ジャン・カルリュ、ポール・コランなどのポスター芸術が開花します。
また、19世紀末から20世紀初頭のアメリカ合衆国では、子供向けのイラストレーションで有名なハワード・パイルや、ポスター・雑誌のカヴァーや挿絵で人気があったマックスフィールド・パリッシュなどが登場しています。
また、ロシア革命のもと発展したロシア構成主義による新しい社会主義国家の建設の動きから、ソ連による社会リアリズムのプロパガンダポスター
など、権力・戦争などに関わるイラストレーションが第二次世界大戦中にかけて出現しました。
戦後、印刷技術がさらに飛躍し、写真が簡単に印刷できるようになると、一時期、イラストレーションの世界は狭まりますが、広告、児童書、科学書風刺画などへの領域で活動を続けます。
1950年代からのアメリカ合衆国ではノーマン・ロックウェルなどの雑誌広告、ポスターや、1960年代以降のアンディ・ウォーホルやリキテンスタインなどのポップアートが席巻しました。
1990年代以降、イラストレーションの伝統的な技法とともに、コンピュータによるデジタルイラストレーションが登場し、コンピュータゲームやウェブサイトなどマルチメディアやコンピュータグラフィックスなどのイラストレーションが出現しています。
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「ペロ」の愛称で親しまれた
1960年代を代表する伝説のイラストレーターです。
エドワーズのノベルティー、東レ広告などの作品が有名で
精密に描き込まれたサイケデリックアートは
今もなお多くのファンを魅了しています。
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武蔵野美術学校西洋画科を卒業後、
漫画、本の挿絵などで幅広く活躍します。
1965年に文藝春秋漫画賞を受賞し、絵本の世界に進出します。
ダイナミックな表現とユーモアに溢れた絵本は「ナンセンス絵本」
と呼ばれ、数々の賞を受賞し注目を集めました。
絵本のほか、油絵、版画、水墨画などの制作も行い、
様々な分野で活躍しています。
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昭和時代の日本を代表するイラストレーターです。
ペンで描かれた人物が特徴的で、その耽美的で妖艶な作風は、
どこかロマンチックでセンチメンタルです。
寺山修司との仕事も多く、天井桟敷やバレエなどのポスター
など、数多くの作品を残しました。
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多摩美術大学油絵科を卒業後、イラストレーターになります。
平凡パンチの表紙イラストを7年間にわたり担当し、
その時代の風俗を象徴したイラストは一躍注目を集めました。
その後、ピンクハウスのポスターを手がけ、
ファッションイラストレーターとして活躍します。
暮らしにまつわるエッセイ&イラストも人気で、
2002年には自身で企画から編集まで全て行う雑誌
「アルネ」を創刊しました。
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埼玉県出身の画家です。
1966年に澁澤龍彦の依頼で「O嬢の物語」の挿絵を手がけます。
「ユリイカ」など、書籍・雑誌の装幀画・挿絵作品が多く、
そのデカダンスで耽美な世界は多くのファンから支持されています。
現在は絵画のほか、着物デザインや写真など幅広く活躍しています。
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東京出身の洋画家・随筆家です。
白馬会葵橋洋画研究所で学んだ後、
1912年に岸田劉生とともにフュウザン会を結成します。
挿絵作品としては、永井荷風や大佛次郎の小説が有名で、
ペンの柔軟な線によって描かれる独特の挿絵が特徴です。
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幼い頃の落書きの延長で現在のオリジナル画風に至ります。
1968年に路上で個展を開き、その後、絵本、マンガ、
映画のポスターなど幅広く活躍します。
ユーモラスでダイナミックなイラストは、
一度見たら忘れられないほどのインパクトがあり、
マニアックなファンが多数いることでも有名です。
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大正から昭和にかけて人気を博した挿絵画家です。
物思いにふける少女や、流し目の少年など叙情的で独特の画風は、
とても魅力的で美しく、幅広い世代の人々に愛されました。
東京都文京区には画業を記念した弥生美術館があります。
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桑沢デザイン研究所を修了後、パッケージデザイナーを経て、
「ありとすいか」で絵本作家としてデビューします。
少年時代に夢見ていた空想の世界をテーマに、
絵本や漫画、映像作品など様々な分野で活躍する
日本を代表する絵本・映像作家のひとりです。
透明感あふれる幻想的な作品は、子供から大人まで世代を
問わず多くの人々に親しまれ、国内外で支持されています。
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日本のファッション・イラストレーターの第一人者で、
日本で最も有名なイラストスクール、
セツ・ モードセミナーの創設者としも有名です。
戦前に中原淳一のすすめで「新女苑」にデビューします。
力強く、躍動感あふれる描画はとても美しく、
多くの人々を魅了してきました。
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大正から昭和にかけて活躍した挿絵画家です。
竹久夢二と出会い、「少女画報」の挿絵を描いてデビューします。
その美しくモダンな画風は一躍注目を集め、
その後も小学館や講談社の絵本など数々の挿絵を手がけます。
作品のほとんどには女性が描かれており、
叙情的で美しい女性の姿はとても魅力的です。
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大阪外国語大学イスパニア語学科を卒業後、
アニメーション技術を学び、独立します。
NHK「みんなのうた」のアニメーションや、「平凡パンチ」
のイラストを手がけるなど幅広く活躍しました。
単純明快でユーモラスなイラストは、
海外でも高く評価されています。
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愛媛県出身のイラストレーターです。
多摩美術大学油画科を卒業後、美術教師になります。
「毎日グラフ」「ミステリマガジン」などの表紙のほか、
SF小説の表紙・挿絵などを多く手がけています。
近未来をイメージした抽象的なイラストが多く、
そのファンタジックな世界はとてもユーモラスです。
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日本のサブカルチャーの第一人者として有名です。
武蔵野美術大学在学中に漫画雑誌「ガロ」でデビューします。
「ビックリハウス」「宝島」などのイラストを手がけ、
「ヤングマガジン」では、ちばてつや賞佳作を受賞しています。
イラストレーターのほか、エッセイスト、ミュージシャン、
ライターなど、幅広い分野で活躍中です。
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岐阜県出身の映像クリエイター・イラストレーターです。
ナイキのCMキャラクターデザインや、企業CM、
音楽アーティストのアートワークや映像作品を手がけるなど、
国内外で幅広く活躍しています。
CGを駆使して作られるファンキーでファッショナブルな
イラストレーションは世界的に注目を集めています。
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京都市立美術大学卒業後に入社したサントリー宣伝部で
トリスウイスキーのCMキャラクター「アンクルトリス」を
手がけ、一躍有名になります。
その後も小説の表紙や挿絵、新聞の4コマ漫画などを手がけるほか、
自身の好きな船や港をテーマにした作品も数多く発表しています。
抜群の色使いとポップでユーモラスなイラストは
見ているだけで楽しくなります。
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高知県出身のイラストレーターです。
漫画やゲームのキャラクターデザイン制作などのほか
小説の挿絵を手がけるなど幅広く活躍しています。
代表作は「ロードス島戦記ファリスの聖女」「十二国記」などで、
ファンタジックで繊細なイラストがとても美しく魅力的です。
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大阪出身のイラストレーター・エッセイストです。
多摩美術大学卒業後、広告制作会社で働きます。
その後、フリーになり「週刊サンケイ」「週刊文春」などの
表紙を手がけ注目を集めます。
グラフィックデザイナーとしても有名で、作品としては、
たばこのハイライトのパッケージデザインなどがあります。
今までに100を超える書籍を出版し、そのシンプルでコミカルな
イラストは世代を超えてたくさんの人に愛されています。
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国内外のファッション誌や広告、CDジャケットなどで
女性のイラストを描いているイラストレーターです。
首を長く描いた女性が特徴的なイラストは
シンプルでありながら独特の世界観があります。
自身がデザインするブランド「ネイキドパンチ」では
ファッションデザイナーとして活躍しています。
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日本大学藝術学部美術学科を卒業後、
1990年に「MELODY」で絵本作家デビューします。
その後も数多くの絵本を手がけ、
ボローニャ国際児童図書展特別賞、講談社出版文化賞絵本賞など
数々の賞を受賞し、90年代を代表する絵本作家となります。
美しい色づかいで描かれたユーモアたっぷりのイラストと
テンポのいい楽しいお話が読み手の心をつかみます。
MELODY(トムズボックス 1990年)
バスにのって(偕成社 1992年)
はじまりはじまり(ブロンズ新社 1994年)
スキマの国のポルタ(講談社 2006年)
うちゅうたまご(イースト・プレス 2009年)
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島根県出身の絵本作家です。
戦後に上京し、教員として働くかたわら本の装丁などを手がけます。
1968年に「ふしぎなえ」で絵本作家としてデビューします。
淡く優しい色調の水彩画が特徴的な作品は、子供だけでなく
数多くの大人たちも魅了してきました。
その知的で遊び心あふれた作品の数々は、
国際アンデルセン賞画家賞のほか多数の賞を受賞するなど
海外でも高い評価を得ています。
ふしぎなえ(福音館書店 1971年)
ABCの本(福音館書店 1974年)
かぞえてみよう(講談社 1975年)
あいうえおの本(福音館書店 1976年)
にほんご(福音館書店 1979年)
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武蔵野美術学校西洋画科を卒業後、
漫画、本の挿絵などで幅広く活躍します。
1965年に文藝春秋漫画賞を受賞し、絵本の世界に進出します。
ダイナミックな表現とユーモアに溢れた絵本は「ナンセンス絵本」
と呼ばれ、数々の賞を受賞し注目を集めました。
絵本のほか、油絵、版画、水墨画などの制作も行い、
様々な分野で活躍しています。
でんしゃえほん(ビリケン出版 2000年)
とぶひ(学習研究社 2004年)
おおガラス(ビリケン出版 2004年)
ちょうつがいのえほん(フレーベル館 2008年)
ぐるぐるえほん(フレーベル館 2008年)
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桑沢デザイン研究所ID科を卒業後、
工業デザインのデザイナーを経て、絵本の創作活動に入ります。
今までに300冊以上の作品を発表し、
世界各国で翻訳された絵本は30種類12カ国にのぼっています。
遊び心満載のユニークな作品は
子供から大人まで幅広い年齢層に親しまれています。
サンケイ児童出版文化賞、国内造本装丁コンクール、
路傍の石文学賞など数多くの賞も受賞しています。
かくしたのだあれ(文化出版局 1977年)
たべたのだあれ(文化出版局 1977年)
みんなうんち(福音館書店 1981年)
きんぎょがにげた(福音館書店 1982年)
きいろいのはちょうちょ(偕成社 1983年)
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東京芸術大学美術学部油絵科を卒業後、
和物のテキスタイルデザイナーを経てイラストレーターになります。
1998年に「リコちゃんのおうち」で絵本作家としてデビューし、
その後、講談社出版文化賞絵本賞など数々の賞を受賞します。
また、「ロンパーちゃんとふうせん」が世界7ヵ国で
翻訳されるなど海外でも高く評価されています。
ファンタジックで独特な世界観を持つイラストが特徴的です。
リコちゃんのおうち(偕成社 1998年)
よるくま(偕成社 1999年)
赤い蝋燭と人魚(偕成社 2002年)
金曜日の砂糖ちゃん(偕成社 2003年)
BとIとRとD(白泉社 2009年)
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愛知県出身の画家・絵本作家です。
独学で絵を学んだ後、絵本作家として活躍するようになります。
今までに100冊を超える作品を発表し、
「ふしぎなたけのこ」でBIBグランプリを受賞するなど、
国内外で数多くの賞を受賞しています。
独特のタッチで描かれたユーモア溢れる生き生きとした
力強いイラストが魅力的です。
ふしぎなたけのこ(福音館書店 1966年)
ちびくろサンボのぼうけん(偕成社 1966年)
ばけくらべ(福音館書店 1989年)
じゅうにしものがたり(グランママ社 1991年)
ちょっときて(小学館 1996年)
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多摩美術大学油絵科を中退後、
叔父の画家谷内六郎のすすめで、絵本を描きはじめます。
1971年に「なつのあさ」で日本人として初めて、
ボローニャ国際児童図書展グラフィック賞を受賞します。
どこか懐かしく、静かで内省的な画風が特徴的な作品は
見ているととってもあたたかい気持ちになります。
現在はフランスに住まいを移し、
年に1作のペースで絵本の創作活動を行っています。
なつのあさ(至光社 1970年)
のらいぬ(至光社 1973年)
にちようび(至光社 1997年)
そらをみよう(あすなろ書房 2005年)
もりのおんがく(講談社 2008年)
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東京都立豊多摩高等学校を卒業後、
1948年から詩作および発表を始めます。
今までに80冊以上の詩集・詩選集を発表し、
日本翻訳文化賞、野間児童文芸賞など数多くの賞を
受賞しています。
詩作を中心にラジオドラマの執筆、戯曲、映画脚本など、
幅広い活躍を続ける現代を代表する詩人のひとりです。
もこもこもこ(文研出版 1977年)
24にんのわらうひとともうひとり(ポプラ社 1977年)
かさをささないシランさん(理論社 1991年)
これはのみのぴこ(サンリード 1998年)
あいうえおうた(福音館書店 1999年)
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桑沢デザイン研究所を修了後、パッケージデザイナーを経て、
「ありとすいか」で絵本作家としてデビューします。
少年時代に夢見ていた空想の世界をテーマに、
絵本や漫画、映像作品など様々な分野で活躍する
日本を代表する絵本・映像作家のひとりです。
透明感あふれる幻想的な作品は、子供から大人まで世代を
問わず多くの人々に親しまれ、国内外で支持されています。
うちゅうスケート(リブロポート 1983年)
ありとすいか(リブロポート 1984年)
ロボットのくにSOS(福音館書店 1996年)
おばけのコンサート(福音館書店 2004年)
まじょのケーキ(あかね書房 2002年)
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東京都出身の絵本作家です。
1948年に東京日日新聞の漫画コンクールに一等入選したのを
きっかけに漫画家としてデビューします。
絵本作家のほか、エッセイストとしても有名です。
奇想天外の独特なユーモア、予測不可能な展開など、
ナンセンスを基調とした常識に囚われない作風は
子供たちから絶大な支持を得ています。
おなら(福音館書店 1983年)
ごろごろにゃーん(福音館書店 1984年)
ぼくのくれよん(講談社 1993年)
ブタヤマさんたらブタヤマさん(文研出版 2005年)
キャベツくん(文研出版 2005年)
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兵庫県出身の童話作家です。
お茶の水美術学院で絵を学び、
1962年に「漫画読本」でデビューします。
日常の生活や子供などをテーマにした
ほのぼのとした作風で多くのファンに支持されており、
絵本、童話、詩集など著書は多数に及びます。
おかあさんがいっぱい(金の星社 1981年)
くろねこかあさん(福音館書店 1990年)
このあいだのかぜに(くもん出版 1996年)
びりびり(ビリケン出版 2000年)
みどりいろのすず(ブッキング 2008年)
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東京都出身のグラフィックデザイナー・絵本作家です。
戦後の混乱期に15歳で伊勢丹の宣伝部に入ります。
「くろうまブランキー」で絵本作家としてデビューし、
以後50冊以上の作品を発表しています。
グラフィックデザイナーとしても有名で、
「ポパイ」「クロワッサン」「ブルータス」の
タイトルロゴは彼の手によるものです。
ぐるんぱのようちえん(福音館書店 1966年)
こすずめのぼうけん(福音館書店 1977年)
ちのはなし(福音館書店 1978年)
いっぽんの鉛筆のむこうに(福音館書店 1989年)
ぼくの絵本美術館(福音館書店 1998年)
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福井県出身の絵本作家です。
東京大学工学部卒業後、技術者として研究所で働きます。
「だるまちゃんとてんぐちゃん」など、
だるまちゃんシリーズが有名で、ユーモラスで親しみやすい
キャラクターとお話は古くから親しまれ、長く愛されています。
また、自らの経歴を生かし、科学絵本も多数制作しています。
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岐阜県出身の絵本作家です。
1968年に「きつねやまのよめいり」で
サンケイ児童出版文化賞を受賞し、海外でも高い評価を得ます。
「しろくまちゃんのほっとけーき」など、
こぐまちゃんシリーズが有名で、1970年の発売以来
長く愛されているロングセラー絵本となっています。
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東京都出身の絵本作家です。
デザイン会社で勤務後、イラストレーターとして活躍します。
「ポッケのワンピース」「でこちゃん」などが有名で、
思わず笑ってしまう個性的な登場人物と
ほのぼのしたお話がとても魅力的です。
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愛知県出身の絵本作家で、
カレルチャペック紅茶店のオーナーとして有名です。
パッケージや雑貨などのイラストを自身で手がけ、
そのポップでかわいいイラストは女性を中心に人気を集めています。
紅茶にまつわるお話を集めた絵本などを多数出版しています。
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福島県出身の絵本作家です。
桑沢デザイン研究所で学んだ後、デザイナーとして活躍します。
「とんとんとめてくださいな」でオランダの絵本賞を受賞するなど
海外でも高く評価されています。
素敵なお話と淡い色調で描かれた美しい絵が魅力的な
優しい気持ちになれる絵本です。
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ぐりとぐらシリーズの作者として有名で、
作家の中川李枝子、画家の山脇百合子との姉妹コンビで
多数の絵本を出版しています。
「いやいやえん」では厚生大臣賞、「子犬のロクがやってきた」
では毎日出版文化賞を受賞しています。
楽しいお話にユニークで愛らしいキャラクターが
登場する彼女たちの絵本は、今もなお愛され続けています。
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東京都出身の絵本作家です。
武井武雄などに絵を学び、絵本の制作を始めます。
1970年には「いやだいやだの絵本」で
サンケイ児童出版文化賞を受賞します。
作品のほとんどは切り絵で作られ、
やわらかく優しい絵にユーモアたっぷりのお話は、
独特な世界を作りだしています。
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石川県出身の絵本作家です。
大阪芸術大学デザイン学科を卒業後、子供をテーマに企画・制作
するショップ「コロボックル」をオープンし、
幅広いジャンルの作品を発表してきました。
「アニーのちいさな汽車」「トムのおもちゃ箱」など
カラフルな色使いの不思議で楽しい絵本の数々は
子供から大人まで人気を集めています。
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及川賢治、竹内繭子の夫婦によるユニットです。
新潮文庫Yonda?のキャラクターをはじめ、
広告や本の表紙など、多数のイラストを手がけています。
「ドーナッツ」シリーズは、たくさんの個性的な
キャラクターがたくさん登場するとても楽しい絵本です。
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北海道出身の絵本作家です。
東京女子大学文理学部日本文学科を卒業後、絵本作家になります。
「いたずらおばあさん」「わたしたちの帽子」など、
賞を受賞した作品は多く、高く評価されています。
楽しいイラストと、ユーモアたっぷりのお話は
読んでいるとどんどん引き込まれていきます。
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東京都出身のイラストレーター・絵本作家です。
日本大学藝術学部を卒業後、アートディレクターとして働きます。
その後、イラストレーターとなり「毎日広告賞」「朝日広告賞」
など、数々の賞を受賞します。
「ピッキーとポッキー」「ぞうのふうせんやさん」などをはじめ、
シンプルでほのぼのとしたイラストが描かれた絵本は
どれも楽しく、子供たちに大人気です。
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東京出身の絵本作家です。
横浜国立大学教育学部美術科を卒業後、絵本作家になります。
「きょうはなんのひ?」で絵本にっぽん賞を受賞、
「はじめてのキャンプ」ではフランスの絵本賞を受賞するなど
海外でも高く評価されています。
丁寧に描かれた子供の絵が印象的で、ストーリーも素晴らしく、
とてもあたたかい気持ちになります。
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東京芸術大学大学院彫金科を卒業後、絵本作家になります。
いちごえほん童話と絵本グランプリ優秀賞など、
多数の受賞作品があります。
大胆でユーモラスな絵がとても楽しく、
夢がひろがる素敵なお話がいっぱいです。
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福岡出身のイラストレーターです。
「プレイボーイ」「ポパイ」などのイラストレーションのほか、
ライオン、サントリーなど多数の広告を手がけました。
実線でグラデーションを表すイラストが特徴的で、
山下達郎のレコードジャケットなどが有名です。
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出版社名:Filipacchi,Centre Georges Pompidou
発行年月:1983年
サイズ :151ページ 30×22cm
状態:
並(特に目立つ汚れやキズなどはありません)
販売価格:10,000円
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著者名 :Mary McMurtrie
出版社名:Garden Art Pr
発行年月:1998年8月
サイズ :110ページ 28*22cm
状態:
並(特に目立つ汚れやキズなどはありません)
販売価格:5,000円
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「アール・ブリュット」には、フランス語で「加工されていない、生の芸術」
という意味があります。
1945年、精神病患者の創作作品を調査していたフランスの芸術家、ジャン・
デュビュッフェにより命名された言葉です。
「アウトサイダー・アート」は、1972年にイギリスの著述家ロジャー・カーディ
ナルによって「アール・ブリュット」の英語表現として創案されました。
ジャン・デュビュッフェによるアール・ブリュット作品収集初期には、精神病院
や監獄などから蒐集していたので、アール・ブリュット(アウトサイダー・アート)
=知的障害者、精神障害者、精神病患者が描いた作品とされていましたが、
後に精神病患者などに限らず、美術教育を受けず独学で孤独に作品を作り
続けた人、社会から見放された孤独な人、子供など芸術による生計や発表す
ることのない人々が、流行や伝統に捕らわれず、美術制度の枠外で自身の
衝動によって制作されるものを指すようになりました。
また絵画以外に、彫刻・映像・文学・音楽や、建築・インスタレーションなどの
空間作品も制作されています。
1945年からジャン・デュビュッフェによって蒐集を開始した、スイス・ローザン
ヌのアール・ブリュット・コレクションは世界最大のアウトサイダー・アートの所
蔵品を誇り、フランス、ドイツ、アメリカ、日本の美術館でもコレクションされて
います。
日本のアウトサイダー・アートは、芸術家による知的障害者更生施設や盲学
校など、福祉施設への現場に出向いての指導による、社会とのつながりを持
つための手段としての障害者芸術、エイブル・アートが発展し、トヨタなどの
企業が支援をしています。
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アール・ブリュットの関連書籍、作品集・画集は買取重点商品です。
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ヘンリー・ダーガー
Henry Darger(1892年4月12日-1973年4月13日)
1892年、シカゴで生まれます。
12歳の頃、感情障害により知的障害児更正施設へ入所、15歳のときに
父が死去。
19歳のときから80歳にいたるまで、誰に知られることもなく孤独に独力
で「非現実の王国で」を制作します。
1972年、病気のために救貧院入院数ヶ月後の1973年に死去しました。
救貧院入院直後、ダーガーが住んでいたアパートの家主であり、芸術家
でもあるネイサン・ラーナーにより300枚の挿絵と15000ページ以上のテ
キストの物語が発見されています。
「非現実の王国で」は、子供奴隷に残虐な拷問を加える邪悪な大人たち
と、血みどろの闘いを続ける7人の少女戦士、ヴィヴィアン・ガールズの姿
を描いています。
ポップアート的な洗練された画風、残虐な拷問や殺戮の風景、少女にペ
ニスを描き加えるなどの挿絵作品を、長い孤独な生活の中で制作。
アウトサイダー・アートを代表するアーティストのひとりとして世界的に高
い人気を得ています。
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アドルフ・ヴェルフリ
Adolf Wölfli(1864-1930)
1864年、スイス、エメンタール州、ボーヴィルに生まれます。
幼少より虐待され、10歳の時に里親へ出されます。
その後、農場労働者として働き、軍に入隊しますが、児童虐待の罪で有罪
判決を受けます。
1895年より1930年の死亡年までスイス・ベルンのワルドー精神病院にて過
ごしました。
入院後、25000ページにおよぶ、膨大なイラスト入り物語を制作し、テキス
トやドローイング、コラージュが混じり合った空想世界を創造しています。
アール・ブリュットの創始者ジャン・デュビュッフェ、シュルレアリスム
の創始者アンドレ・ブルトンの2人が、ともに高い評価を発しています。
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マッジ・ギル
Madge Gill(1882年-1961年)
1882年ロンドンに生まれます。
私生児として生まれ、身内から拒絶され9歳の時に孤児院に収容されます。
後にカナダに移って農場労働者となるもそこで虐待を受け、25歳に結婚し3
人の子供をもうけますが、1人が死亡。婦人科の疾病により死産、それが
原因で片目が失明します。
病気から快復後、以来40年にわたり驚くべき点数のドローイングを描き続
けました。
自らは、「マイニナレスト」という霊によって導かれ描いたと言い、多くの
ドローイングに「マイニナレスト」のサインが施されています。
1961年死去。その後数百点の作品が発見されましたが、今後展示される
予定はないようです。
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フリードリヒ・シュレーダー・ゾンネンシュターン
Friedrich Schröder-Sonnenstern(1892年-1982年)
1890年、東プロイセンで生まれます。
幼いころから行動が奇抜で素行が悪く、母は狂死、第一次大戦時に軍隊に
入隊しますが、自ら精神錯乱者と軍医に訴え、精神病院に入院します。
その後退院し、ベルリンにて占星術師になりますが、薬剤法違反などで禁
固刑を受け、精神病院へ強制入院となりました。
その精神病院に入院していた画家の勧めで絵を描くことを始めます。
幻想的でエロティックな、色鉛筆で入念に塗り込められた作品は、アンドレ
・ブルトンや瀧口修造から高い評価を得ており、シュルレアリスムのアーテ
ィストに含まれることがあります。
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アレクサンドル・ロバノフ
Aleksander Lobanov(1924年8月30日-2003年4月21日)
1924年、ソ連のボルガ川沿いの小さな町で生まれます。
6歳のときより耳と口が不自由になり、その後聴覚・言語障害の子どもたち
のための特別寄宿学校へ入学します。
1947年、精神病院に入院。1960年代から絵画を制作。1970年代から写真
に絵を描き込む独自の表現方法で制作を始めます。
長らく注目されることがありませんでしたが、1990年代後半に注目を浴び、
ヨーロッパ各地で展覧会が開かれるようになります。
銃に関する強い愛着が感じられる作品などがあります。
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アロイーズ・コルバス
Aloise Corbaz(1886年6月28日-1964年4月6日)
1886年、スイスのローザンヌに生まれます。
11歳の時に過労が原因で母が死去し、長姉マルグリットが母代わりとなり
ますが、その過干渉のため、その後の人生に大きな影響を受けることとな
ります。
1910年代前半、ポツダムのヴィルヘルム2世の宮廷で働き、その後統合失
調症となり、精神病院に入院し、1964年の死まで過ごすこととなります。
1947年、ジャン・デュビュッフェに見出され、アール・ブリュットの作家
として注目を集めることとなりました。
エロスな象徴と愛の物語に満ち、自らの精神世界を追い求めた、色彩の
美しい絵画を制作しています。
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ハインリヒ・アントン・ミューラー
Heinrich Anton Müller(1869-1930)
19世紀後半、スイス・レマン湖畔のブドウ園で下働きをし、ブドウ品種改良
用の機械を発明、特許を得るも、それが元となるトラブルにより精神を病み、
37歳の時に精神病院に入院します。
病院では自己の引きこもりに終始し、1917年頃から絵画の制作を始めます。
デフォルメされた人物像や、動物や樹木のある作品を数多く制作しました。
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カルロ・ツィネリ
Carlo Zinelli(1916年-1974年)
1916年、イタリアのヴェローナで生まれます。
2歳の時に母と死に別れます。
第二次世界大戦に従軍、前線の過酷な日々により1947年統合失調症で精
神病院に入院しました。
田舎暮らしから戦争や狂気の悲しい体験を、無数の人物像やアルファベット
文字、幾何学的形態、記号を用いた独創的で一貫性のある絵画を制作して
います。1971年には精神病院を退院しており、1974年に死去しています。
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ビル・トレイラー
Bill Traylor(1854年-1949年)
アメリカ、アラバマ州の農場にて黒人奴隷として生まれます。
1865年、奴隷解放宣言により自由の身となりますが、農園に留まります。
1938年、農園を離れ、身体が不自由になりホームレス暮らしとなり、黒人
コミュニティーの繁華街で絵を描き始めました。85歳を過ぎて、人生最後
の3年間に1500枚もの絵を残します。
幾何学的、抽象的な構図の中に複数のイメージがリズミカルに配置された、
簡潔な線と限られた色使いが特徴です。
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ジーン・メリット
Gene Merritt(1936年-)
1936年、アメリカ・サウスカロライナ州で生まれます。
幼い頃、発熱が原因で脳に障害を発し、暴力的な父親のもと生活します。
1948年に母を亡くし、1972年父を亡くすと、社会福祉局のもと養護施設
などで生活。
ドローイング作品は、特定の人物の横顔が丁寧に線描され、キュビスム
のような遠近法が使われています。
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モートン・バートレット
Morton Bartlett(1909年-1992年)
1903年、シカゴに生まれます。
8歳の時に両親と死別。独身のまま83歳で死去します。
彼の死後、15体の人形と約200枚の写真が生前居住していた部屋から
発見されます。15体の人形は12体が少女で、3体が少年でした。
現実の女性との接触を持たなかった彼は隠遁を決め込み、妻子を持たず、
自分だけの安全地帯を作り出し、孤独の中で、創作者、父親、母親、友人、
伴侶をこれらの作品に求めました。
自らの手で服を繕い、人形に着せ撮影。実在の少年少女のスナップショッ
トに仕上げています。
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山下清
(1922年3月10日-1971年7月12日)
広義の日本のアウトサイダー・アーティストに含まれます。
1922年、東京都に生まれます。
幼少の頃、重い消化不良が原因で、後遺症で軽い言語障害、知的障害
が残ります。
その後、知的障害児施設「八幡学園」へ預けられ、ここでの生活で
「ちぎり紙細工」に出会いました。
制作に没頭する中で才能が磨かれ、1939年の展覧会で多くの人々から
評価を得ます。18歳の時に兵役検査を受けたくなかったため放浪の旅に。
旅先で記憶した風景を、八幡学園や実家に帰ってから記憶を基に描く、
驚異的な映像記憶力の持ち主で、サヴァン症候群であった可能性が高
いといわれています。
戦後は全国巡回展により高い評価を得て、ヨーロッパを巡り多数の作
品を残しています。
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ヨハン・ハウザー
Johann Hauser(1926年-)
1926年、現在スロヴァキアの首都、ブラティスラヴァで生まれます。
第二次世界大戦時は難民キャンプで暮らし、戦後ウィーンのマリー・
グギング精神病院に入院します。
激しい躁鬱病のため、躁と鬱状態で描く画風の違いが顕著であり、
躁状態の時は派手な色彩や彼の好きな物体を描き、鬱状態の時は
記号的な小さな絵を描きました。
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ジョゼフ・ヴィトリッヒ
Josef Wittlich(1903年-1982年)
1903年、ドイツのグラドバッハに生まれます。
幼少時に母を失い、暴力的な父親のもと生活します。
その後父親の再婚により、義理の母親に邪険に扱われました。
第二次世界大戦では兵役に就きますが、負傷しロシア軍の捕虜となり
ます。
戦後、陶器工場で働き、死去する1982年まで、孤独の中で絵画を制作
しました。
ローマ教皇や王族、モデルなど、身の回りの現実でなく、単純で明快な
イメージのフォルムを単純化、独特の色彩で表現しています。
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ウィリアム・ホーキンス
William Hawkins(1895年-1990年)
1895年、アメリカ・ケンタッキー州に生まれます。
幼少時に母を亡くし、祖母の農場で育てられます。
21歳のときに都会での生活をするも、貧困や差別、犯罪に直面。
1930年代頃から独学で、建材用の合板やペンキを用いて、自由の女神や
キングコングなど、ポピュラーなイメージを描きました。
まったくの独学でアートに挑んだその姿は、アメリカが生んだ真のポップ・
アーティストとも言えます。
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ロウル・ピジョン
Laure Pigeon(1882年-1965年)
1882年、フランス、ブルーターニュ地方で生まれます。
29歳のときに歯科医と結婚。夫は仕事も女性関係もだらしがない男でした
のでまもなく別居状態に。
その後、長期滞在者用の宿泊施設で交霊術に出会います。
死去までの約30年間にわたり、交霊術による青インクを用いた線影画を
500点あまりを制作します。
生存中は作品を誰にも見せず、死後に作品が発見されました。
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マルティン・ラミレス
Martin Ramirez(1885年-1960年)
1885年、メキシコ・ハリスコ州の貧しい家に生まれます。
10代後半で仕事を求めてカリフォルニアへ。仕事を得ますが、きつい労働、
文化的ショックにより会話能力を失い、精神病院へ入院しました。
病院では会話能力を回復することはなく、絵を描くことに熱中。
1954年、精神病院で授業を行っていた異常心理学のタルモ・パスト博士に
出会い、博士による病院との交渉で、絵画を描く環境が整います。
作品にはキュビスムやシュルレアリスムを連想させる20世紀的表現が随
所に見られます。
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サヴァ・セクリッチ
Sava Sekulic(1902年-1989年)
1902年、クロアチアの山村でセルビア人家族のもとに生まれます。
10歳のときに父を亡くします。
1916年、第一次世界大戦に従軍、右目を失明。
その後、職を転々とし、流浪の生活を送りながら独学で読み書きを覚え、
1930年頃から詩を書き、絵を描き始めます。
1962年、残りの人生を詩作と絵画制作に捧げる決意をし、1989年の死去
まで制作を続けます。1969年にはベオグラードで個展を開催しています。
人間や動物が溶け合い、明るい色彩の中に、伝説のや神話のキャラクタ
ーが、素朴派を思わせる技法で描かれています。
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エドモン・モンシェル
Edmund Monsiel(1897年-1962年)
1897年、ポーランドで生まれます。
後にルブリン地方の村で雑貨店を経営。周囲の人々から陰気で人付き合
いの悪い、狂信的な男だと思われていました。
1942年、ドイツ軍に店を奪われ、同じ町に住んでいた弟の家の屋根裏で生
活。戦争が終結してもそこから出ることなく、人との接触を拒みました。
1962年、風邪により死亡。死亡後、所持品の中から500点におよぶドロー
イングが発見されました。
その絵は、大小のおびただしい数の顔がびっしりと隙間なく敷きつめられ
たもので、中には3000もの顔が描かれている迷宮的な作品があります。
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アナ・ゼマンコーヴァ
Anna Zemankova(1908年-1986年)
1908年、チェコのオルモウツに生まれます。
1933年に結婚、専業主婦となり3人の子供を育てます。
50歳になろうとしたころ、精神的に不安定となり、彫刻家の息子の勧めで
で絵を描き始めます。
それから約30年にわたり、毎朝夜明け前の半覚醒の恍惚状態の中で絵画
を制作しました。
中央ヨーロッパのデザインに見られる植物装飾文様の影響を受けた曲
線と、柔らかい色調のパステルで彩られた独特なデザインが特徴です。
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ブルックス・ヨーマンス
Brooks Yeomans(1957年-)
1957年、アメリカ・ノースカロライナ州に心霊術師のひとり息子として、
軽度の知的障害を持ち、生まれます。
1991年母親が亡くなり障害者施設に入所、そこで才能を認められ、芸術的
才能に恵まれた成人精神障害者のためのアトリエとギャラリーを併設した
施設「シグネチャー」に受け入れられることになります。
自分自身の人生に起きた様々な出来事を元に、細部までこだわったパノ
ラマ的展望の絵画を制作しています。
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オスヴァルド・チルトナー
Oswald Tschirtner(1920年-)
1920年、ウィーン近郊に生まれます。
第二次世界大戦にてドイツ軍に入隊、終戦間近に南フランスの捕虜収容
所に収容されます。
1947年、一連の試練に耐えきれず精神病院に入院、激情発作をともない
症状は悪化し、現在に至るまで入院生活を続けています。
現在はマリー・グギング精神病院の芸術家の家で暮らしています。
1950年代から絵画の制作を始め、その作風はミニマルであり禁欲的であ
ります。
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ガストン・トゥシェール
Gaston Teuscher(1903年-1986年)
1903年、スイスの農家に生まれます。
幼い頃から独立心の強い性格で、生涯、旅行三昧と多くの女性との束の
間の出会いに彩られた人生を送りました。
1974年、71歳のときから絵を描き始めます。
ワイングラスやコーヒーカップの底の染、アルミ箔や銀紙などをしわくちゃ
にして、そこに偶然できた不確定な形態を構図として利用。またヘビース
モーカーの彼はヤニを回収して絵具として再利用していました。
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ミシェル・ネジャー
Michel Nedjar(1947年-)
1947年、パリ近郊でアルジェリア出身の父と、親族の多くをナチスに殺さ
れた母親のユダヤ人夫婦のもとに生まれます。
1960年頃から強制収容所でのホロコーストを意識するようになります。
1970年からモロッコと欧州を旅し、さらにトルコ、イラン、アフガニスタン、
インド、メキシコを旅し、これらの国の文化から強い影響を受けました。
1975年からボロや切れ端など身の回りにあるもので、呪術的な雰囲気の
謎めいたな人形を作り始めます。
1980年代からは絵を描き始めています。
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アメリカ人のデザイナーで建築家であったジョージ・マチューナスにより、
前衛芸術家を組織したグループです。
「浄化、連続運動、流れる水、変化する、下剤をかける・・・」などの意味を
持ち、1960年代の代表的な芸術運動として世界に波及しました。
フルクサスの基準として、グローバリズム、アートと生活の統一、インターメデ
ィア、実験主義、偶然性、遊戯性、単純、特殊性、音楽性などが挙げられます。
その芸術の特徴としては、多国籍の集団、グループの境界が曖昧、美術・音楽
詩・舞踏など多様なジャンルにまたがる、パフォーマンスに重点が置かれゲー
ム性、ジョーク、ユーモアを好んだ、シンプルかつ客観的、まとまった主義主
張をグループとしては持たないなどがありました。
1961年にジョージ・マチューナスがニューヨークのA/Gギャラリーで行った公演
を機に「フルクサス」の名前が定着します。
1962年から1963年には西ドイツを皮切りに「コンサート」と呼ばれた上演会が
ヨーロッパ各国を巡回し、運動の広がりは国際的となります。
しかし1963年に中心人物であったジョージ・マチューナスが発表した過激なマニ
フェストが他のメンバーに支持されず、1972年の「フルクサス・ショー」以降、
その活動は歴史化されていき、1978年のジョージ・マチューナスの死によって
終焉を迎えることとなりますが、1970年代以降のコンセプチュアル・アートやパ
フォーマンスに極めて大きな影響を与えました。
ヨーゼフ・ボイス、ナム・ジュン・パイク、オノ・ヨーコらが参加し、フルクサス
と関わりを持った音楽家にジョン・ケージ、映像作家にジョナス・メカスらが
います。
日本からの参加者は靉嘔、小杉武久、塩見允枝子、一柳彗、高松次郎、
赤瀬川原平、中西夏之、ワダマサヨシらが参加・同調しています。
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ジョージ・マチューナス
George Maciunas(1931年11月8日-1978年5月9日)
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1931年、リトアニアのカウナスで生まれます。
1948年、アメリカ、ニューヨークに移住。
1952年からニューヨークの大学で美術、グラフィック・アート、建築を学びます。
1961年にニューヨークのA/Gギャラリーで行った公演を機に「フルクサス」の名
前が定着します。
1962年から1963年には西ドイツを皮切りに「コンサート」と呼ばれた上演会を
ヨーロッパ各国にて展開、フルクサス運動の広がりは国際的となります。
1963年、マニフェストを書き上げ、フルクサスを共同体としてまとめようとする
も、その過激な内容に誰もサインする事はありませんでした。
その後フルクサス名簿の作成、新聞の作成、フルクサスメンバーの作品を「フ
ルックス・キット」などでの販売などを展開し、フルクサスをグループに発展さ
せ議長となります。
1978年死去、やがてマチューナスを中心としたフルクサス運動は終演を迎え
ることとなります。
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ナム・ジュン・パイク
Nam June Paik(1932年7月20日-2006年1月29日)
1932年、ソウルで生まれます。
1949年、朝鮮戦争のため一家で香港へ、そのご日本へ。東京大学文学部
美学・美術史学科を卒業後、ミュンヘン大学に学びます。
1961年、ジョージ・マチューナスと知り合い、フルクサスに参加。ヨーゼフ・ボ
イスと交流を深めました。
1963年、ドイツのパルナス画廊で開いた個展で、世界初のビデオ・インスタ
レーションを発表します。
1964年、アメリカに移住し、その後のパフォーマンスを共作することになる
チェリスト、シャーロット・モーマンと出会います。
1965年、ニューヨークでの初の個展を開催し、携帯用ビデオ・カメラを使い
始めました。
1977年、ビデオ・アーティスト久保田成子と結婚し、ハンブルク美術大学で
教鞭をとるためにドイツへ。その後ドイツ、東京、ニューヨーク、パリなどで
個展を多数開催します。
現代的なテクノロジーを活用した画像処理や映像展開の中に東洋的な自
然観や禅の思想を取り込んだ、ビデオアートのパイオニアとして国際的に
活躍しました。
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ヨーゼフ・ボイス
Joseph Beuys(1921年5月12日-1986年1月23日)
1921年、ドイツ北西部の町、クレーフェルトに生まれます。
第二次世界大戦時にはドイツ空軍に入隊し東部戦線で戦い負傷、戦争末期
には西部戦線にて戦闘に参加しますが、イギリス軍の捕虜となります。
1960年代にフルクサスに参加、多くのオブジェを制作しパフォーマンスを演じ
るようになります。
1970年代には、教授を務める芸術アカデミーにおいて、入学できる学生数の
制限に反対し、自分自身で「創造性と学際的研究のための自由国際大学」を
設立するなど思想家、活動家色が強まっていきました。
脂肪やフェルト、野うさぎの死骸を使った作品や、展覧会会場で観客と民主
主義について議論を交わしたり、創造性によって社会を形成するという「社
会彫刻」概念を生み出すなど、インパクトを与える表現と思想をもって芸術の
新たな可能性を広げ、多くの人々に影響を与えたアーティストです。
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オノ・ヨーコ(小野洋子)
Yoko Ono Lennon(1933年2月18日-)
1959年、ニューヨークにて、フルクサスの活動に参加し、コンセプチュアル・
アートを制作します。
1962年日本に帰国し、東京の前衛芸術家として活躍し、パフォーマンスア
ートや、言葉によるコンセプチュアル・アート作品を発表。
1965年、ロンドンに移り活躍し、個展にて知り合ったジョン・レノンと1969年
に結婚します。
ニューヨーク、ロンドン、東京のコンセプチャル・アート、コンサート、実験映画、
パブリック・アート、またジョン・レノンとの共同作業作品やジョン・ケージ、
ナム・ジュン・パイクなどのアーティストとコラボレーションも行っています。
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ジョン・ケージ
John Milton Cage Jr.(1912年9月5日-1992年8月12日)
1912年、ロサンゼルスに生まれます。
1931年、ピアニストのリチャード・ビューリックに音楽を学び、1934年から南カ
リフォルニア大学のアルノルト・シェーンベルクに学びます。
その後、ニューヨークに出て画家たちと交流を持ち、禅を学び東洋思想への
関心を深め、中国の易を用いた作曲過程に偶然性が関わったり、演奏や過
程に偶然性が関与する不確定性の音楽を創造していくようになります。
1950年代後半から、代表作「4分33秒」や、問題作「0分00秒」を発表し、フル
クサスとの交流がありました。
旧来の音楽のあり方を否定する「偶然性の音楽」や「無音の音楽」などを発表
し、現代音楽界に新しい音楽の姿を提唱した前衛音楽作曲家と言われています。
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ジョナス・メカス
Jonas Mekas(1922年12月23日-)
1922年、リトアニアにて生まれます。
1949年、ニューヨーク、ブルックリンへ移住。1950年代、様々な仕事をしながら
当時生活していたウィリアムズバーグやリトアニア系移民を撮り始めます。
1954年「フィルム・カルチャー」誌を発行。
1960年代からアレン・ギンズバーグ、オノ・ヨーコ、ジョン・レノン、サルバドー
ル・ダリらと交流。同じリトアニア人のジョージ・マチューナスとは深い交流が
ありました。
物語映画やドキュメンタリーで高い評価受け、現在も精力的に活動する映像
作家です。フルクサス周辺の映画監督として有名です。
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ジョージ・ブレクト
George Brecht(1926年8月27日-2008年12月5日)
1926年、ニューヨークに生まれます。
初期フルクサスから参加する前衛作曲家、コンセプチュアル・アーティスト
です。
代表的なインストラクション集「ウォーター・ヤム」やフルート・ソロ、ヴァイオ
リン・ソロなどの作品が有名です。
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ラ・モンテ・ヤング
La Monte Young(1935年10月14日-)
1935年、アイダホ州に生まれます。
カリフォルニア大学ロスアンゼルス校、カリフォルニア大学バークレー校にて
音楽を学びます。その後インド古典音楽、インドネシアのガムラン音楽、グレ
ゴリオ聖歌や他のさまざまな異文化
の音楽に影響を受けます。
1960年、フルクサス運動に参加。著名な作品群「コンポジションズ 1960」を発
表します。戦後の前衛音楽の重要な作曲家であり、フルクサスに影響された
作品とミニマル音楽作品を創造しています。
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アラン・カプロー
Allan Kaprow(1927年8月23日-2006年4月5日)
1927年、ニュージャージー州に生まれます。
コロンビア大学で美術史を学び、その後ジョン・ケージのもとで作曲を学び
ました。
1959年にニューヨークの画廊で行った展覧会で、ハプニングという表現方法
のパフォーマンスを行います。
1960年代にかけて、パフォーマンスやゲリラ的作品展示「ハプニング」を仕掛
けて、フルクサスなど後に続くパフォーマンスアートの芸術運動に大きな影響
を与え、環境芸術やインスタレーションの先駆者とも言われています。
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アル・ハンセン
Al Hansen(1927年10月5日-1995年6月22日)
1927年、ニューヨークに生まれます。
初期のフルクサスに参加し、オノ・ヨーコやジョン・ケージと交流を持ち、ナ
ム・ジュン・パイクらと共作をし、ハプニングという表現方法のパフォーマン
スやコラージュ作品を多数創造しています。
現在最も創造的なオルタナティヴ・ミュージック・アーティストのひとり、ベック
・ハンセンは彼の孫であり、アル・ハンセンの死後の1998年にBeckベックと
のコラボレーション・ブックが発行されています。
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靉嘔
(1931年5月19日-)
1931年、茨城県行方市に生まれます。
1954年、東京教育大学芸術科を卒業。
1963年、フルクサスに参加。ジョージ・マチューナスやナム・ジュン・パイク
と親密な関係を
築き国際的に活躍しました。
虹色で構成した版画・絵を制作。オブジェやイベント・アートなどの芸術活
動も創造しています。
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高松次郎
(1936年2月20日-1998年6月25日)
1936年、東京都に生まれます。
1954年、東京藝術大学絵画科にび、小磯良平に師事します。
1963年には中西夏之、赤瀬川原平とともに前衛芸術集団ハイレッド・セン
ターを結成し、様々なイベントや行動を起こしました。
抽象的で反芸術的な色合いの濃い、インスタレーション、絵画、彫刻、壁画
写真、映像作品など様々なスタイルの作品を創造し、1960年代以降のコン
セプチュアル・アートに多大なる影響を与えました
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赤瀬川原平
(1937年3月27日)
1937年、横浜にて生まれます。
1960年、篠原有司男、荒川修作らと共に「ネオ・ダダイズム・オルガナイザ
ー」を結成。
1963年には、高松次郎、中西夏之とともに前衛芸術集団ハイレッド・センター
を結成し、様々なイベントや行動を起こしました。
その後千円札を模写した作品発表して実刑判決を受けたり、新聞紙で梱包
した首を振るだけの扇風機とか、カニ缶を使った「宇宙の缶詰」などの作品や
様々な組織の結成など、ユーモアとナンセンスが詰まった創作活動を展開し
ました。また純文学者としても活躍し、1981年、第84回芥川賞を受賞してい
ます。
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中西夏之
(1935年7月14日-)
1935年、東京都・大井町に生まれます。
1958年、東京藝術大学絵画科を卒業します。
1963年には、高松次郎、赤瀬川原平とともに前衛芸術集団ハイレッド・センタ
ーを結成し、様々なイベントや行動を起こしました。
1960年代に瀧口修造や澁澤龍彦、シュルレアリスム系の画家や詩人たちと
交流を深め、舞台美術・装置なども手掛けます。
1960年代後半からは、現実空間と絵画空間との緊張関係をテーマにした思考
性の抽象絵画や絵画インスタレーションを制作している現代日本美術を代表す
る画家のひvとりです。
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一柳慧
(1933年2月4日-)
1933年、神戸市に生まれます。
1954年から1957年までニューヨークのジュリアード音楽院で学びます。
1956年にはオノ・ヨーコと結婚、1959年ニューヨークにてジョン・ケージの講座
に参加し、大きな影響を受けます。
1961年より日本にてジョン・ケージや自己の前衛音楽作品を紹介し、その後
ミニマル・ミュージックに影響を受けた作品を発表します。
1980年代には尾高賞を4度受賞し、現代日本の代表的な作曲家の一人として
活動を続けており、また日本の伝統音楽の発展にも尽力しています。
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塩見允枝子
(1938年-)
1938年、東京都に生まれます。
東京藝術大学楽理科に学び、音楽理論を柴田南雄に、作曲を長谷川良夫
に師事しました。在学中に刀根康尚、水野修孝、小杉武久らと即興演奏集
団「グループ・音楽」を結成します。
1964年、ニューヨークにてフルクサスの活動に参加し、1970年以降は環境
音楽の作曲など、エレクトロニクスを用いた独自の表現で演奏家,作曲家と
して国内外の注目を集めています。
1990年代からは、世界各地でのコンサート活動を行い、数々のサウンド・イ
ンスタレーションを発表しています。
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小杉武久
(1938年3月14日-)
1938年、東京都に生まれます。
東京藝術大学楽理科に学び、在学中に刀根康尚、水野修孝、塩見允枝子
らと即興演奏集団「グループ・音楽」を結成。その後フルクサスに参加し多
数のイベント作品を発表します。
1969年、土屋幸雄、木村道弘、永井清治、長谷川時夫、林勤嗣らと、タージ・
マハル旅行団を結成し、国内外で演奏活動を行います。
1977年、アメリカに移住し、マース・カニングハム舞踏団の音楽監督をジョン
ケージらとともに勤め、しなやかに使いこなしたテクノロジーによる独自の表
現で、世界中の芸術祭、コンサートなどに数多く参加しています。
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新着の本
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1950年代半ばからロンドンでポップ・アート・ムーヴメントが始まり1961年
に最盛期を迎えます。
1970年代、ポップ・ミュージックやストリート・ファッションの中心であったロ
ンドンですが、アートシーンにおいてはサッチャー政権時の不況下におけ
る美術館などの公的な運営費が打ち切られ、アメリカ・ドイツに比べ停滞
することとなりました。
1980年代以降には経済復興にともなって「ニュー・ブリティッシュ・スカル
プチャー」や,1990年代「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBA)」
などのアーティストらをはじめ、様々なオリジナリティー溢れるアーティスト
たちが活躍しています。
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ディヴィッド・ホックニー
David Hockney(1937年7月9日-)
1937年、イギリスのブラッドフォード・ソルテアに生まれます。
1950年代から1960年代にポップ・アート運動に参加し、ポップアートの
レッテルを嫌うもポップ・アート最盛期の一員として活躍しました。
現在はロサンゼルスを拠点に活動し、油彩、フォト・コラージュ、舞台芸術
も手掛ける
多彩な、20世紀イギリスを代表する現代アーティストです。
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フランシス・ベーコン
Francis Bacon(1909年10月28日-1992年4月28日)
1909年、アイルランドのダブリンに生まれます。
1914年イギリスに移住。1929年、ロンドンにて家具設計、室内装飾などの
仕事を始め、油絵を描くようになります。
1933年、作品が美術誌「アート・ナウ」に掲載され、次第に名声が高まって
行きました。
戦後、抽象美術が最盛期になりますが、具象絵画にこだわり続け、人間の
存在の根本にある不安を描いた奇妙な人間像が特徴です。
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ダミアン・ハースト
Damien Hirst(1965年7月7日-)
1965年、ブリストルで生まれ、イングランド北部の都市リーズで育ち、
そこのアート・カレッジで学びました。
1988年、ロンドン・サーチ・ギャラリーのオーナー、チャールズ・サーチ
に見出され、その後個展にて、死んだ動物や薬品瓶、巨大なガラス
ケースなどを使用した生や死を表現するスタイルの作品を発表しました。
1993年、切断された牛と子牛をホルマリン漬けにした作品をヴェネツ
ィア・ビエンナーレに出展し、この作品で1995年にはターナー賞を受
賞しています。
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アントニー・ゴームリー
Antony Gormley(1950年8月30日-)
1950年、ロンドンに生まれ、英国内の様々なカレッジで学びます。
1980年代には「ニュー・ブリティッシュ・スカルプチャー」の代表的作家
として活躍。1994年にターナー賞を受賞しています。
自身の体をモデルやツール、素材にし、彫刻における人間像に新しい生
命を与えて、人間の内面と外面を表現する彫刻、インスタレーションを創
造しています。
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リチャード・ハミルトン
Richard Hamilton(1922年2月24日-)
1922年、ロンドンにて生まれます。
1956年、ロンドンのホワイトチャペル・アート・ギャラリーにて開催された
「これが明日だ」展に出品したコラージュ作品「いったい何が今日の家庭
をこれほど変え、魅力あるものにしているのか」が後にアメリカへ波及し
たポップ・アートの記念すべき第1号として高い評価を受けました。
ポップアートの先駆者と称され、現在も版画やコラージュ、デザインなど
ジャンルを超えた多様な創作活動を展開しています。
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ギルバート&ジョージ
Gilbert and George
イタリア出身のギルバート・プロッシュ(Gilbert Prousch/1943年-)とジ
ョージ・パサモア(George Passmore/1942年-)のペアによるアート・ユ
ニットです。ロンドンを中心にパフォーマンス・アーティストとして活躍し、
フォト・モンタージュなどの写真や、ビデオ、ドローイングなどを制作。
1986年にターナー賞を受賞しています。
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アンディー・ゴールズワージー
Andy Goldsworthy(1956年7月26日-)
1965年、イングランド北西部チェシャーで生まれます。
1985年からスコットランドにて創作活動を始めます。
石、枝、棘、土、雪、氷柱、植物など、周囲の自然環境の中で見つけた
自然物を素材として使用し、自然環境のなかで、場の特異性を活かし
た、彫刻やランドアートを制作するアーティストです。
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ベン・ニコルソン
Ben Nicholson(1894年4月10日-1982年2月6日)
1894年、バッキンガムシャーに生まれます。
1932年、フランスにて結成された「アプストラクシオン・クレアシオン」に
ピエト・モンドリアンやコンスタンティン・ブランクーシらと参加し、1933年
イギリスで、バーバラ・ヘップワース、ヘンリー・ムーアらと抽象芸術グル
ープ「ユニット・ワン」を結成します。
半具象と抽象の間を彷徨うような、簡潔で透明感あふれる白い彫刻レリ
ーフなどの幾何学的抽象作品を創造し、イギリスの抽象美術を牽引した
作家のひとりです。
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ヘンリー・ムーア
Henry Moore(1898年7月30日-1986年8月31日)
1989年、ヨークシャーのキャッスルフォードで生まれます。
わずか11歳の時に彫刻家になることを決心、その後第一世界大戦で従
軍し、リーズ芸術学校の彫刻の生徒となります。
1921年、ロンドンの王立芸術大学に学び、ヴィクトリア&アルバート美術
館と大英博物館でプリミティブな美術、彫刻に触れます。
1929年、結婚を機に、前衛的な芸術家たちが活動を始めている場所
ハムステッドに移り住み、バーバラ・ヘップワースやベン・ニコルソンなど
と交流し、フランスでピカソやジャン・アルプ、ジャコメッティらとも交流を
深めました。
1948年にはヴェネツィア・ビエンナーレ展で国際彫刻賞を受賞。
戦後は大規模な大規模な公共彫刻、パリのユネスコの建物などの大
規模なモニュメントを多数制作し、イギリス美術を国際的に名を知らし
めた偉大な彫刻家です。
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アンソニー・カロ
Anthony Caro(1924年3月8日-)
1924年ロンドンにて生まれます。
ケンブリッジのクライスツ・カレッジに学んだ後、彫刻の道に進むことを
決意します。
ロンドンのロイヤル・アカデミー・スクールズにて学んだ後、ヘンリー・
ムーアのもとで2年間アシスタントとして従事。
鉄を素材とした、素材の持つ表現の可能性を追求し、新たな表現方法
を確立した、ヘンリー・ムーアの次世代の英国彫刻界の牽引者として活
躍しています。
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アンソニー・グリーン
Anthony Green(1939年9月30日)
1939年、ロンドンに生まれます。
1965年、ロンドン・スレード美術学校に学びます。
1977年、ロイヤル・アカデミー夏期展でExhibit of the Year賞受賞。
変形キャンバスや様々な角度からの構図を組み合わせた、自らの思い出
の場面を題材に物語のような絵画作品を創造するアーティストです。
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ブリジット・ライリー
Bridget Riley(1931年4月24日-)
1931年、ロンドンにて生まれます。
1952年、王立美術学校で学び、初期の頃の作風は半具象半印象派といっ
た絵画作品を制作。
1960年前後から幾何学模様の視覚的効果を取り入れた絵画スタイルを
確立していきます。
1968年、ヴェニス・ビエンナーレで絵画部門国際賞を受賞。
錯視効果を強調した抽象絵画である「オプ・アート」(視覚的美術、オプティ
カル・アートの略)の第一人者として活躍しています。
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ルシアン・フロイド
Lucian Freud(1922年12月8日-)
1922年、ベルリンで生まれ、1933年にイギリスに移住します。
1940年代の作品はシューレアリズムを思わせるような作風で、1950年代
からは厚い塗りの家族や友達、恋人、子供のポートレイトやヌードを中心
に制作しています。
2005年、ケイト・モスのヌード肖像画が約7億7千万で落札されて話題に
なりました。
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トニー・クラッグ
Tony Cragg(1949年4月9日-)
1949年、リヴァプールに生まれます。
1977年、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート修士修了。
1988年、43回ヴェネツィア・ビエンナーレ、イギリス館代表、同年ター
ナー賞受賞。
拾い集めたプラスチックの断片によるインスタレーション、立体作品でよく
知られています。
近年は生命の有機的なフォルムをコンピュータで分析し、立体化した彫刻
を多く発表しています。
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リチャード・ロング
Richard Long(1945年6月2日-)
1945年、イギリスのブリストルに生まれます。
1966年にロンドン芸術大学セント・マーティンズ美術学校に学び、1967
年にヴェネツィア・ビエンナーレのイギリス館代表に選出。
1989年にはターナー賞を受賞。
1960年代から、自然の中を歩いてその痕跡を写真で記録したり、その土
地の石などを円形にインスタレーションするなどのアースワークを制作し
ています。
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リチャード・ディーコン
Richard Deacon(1949年8月15日-)
1949年、ウェールズのバンガーで生まれます。
ロンドンの・ロイヤル・カレッジ・オブ・アートなどで学びます。
1980年以降のイギリス彫刻界、ニュー・スカルプチュアの流れの中で大き
く貢献したアーティストです。
建築資材や合板を使用し、滑らかな曲線形デザインの、小品から建築物
と対峙する大型の物まで多岐にわたります。
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アニッシュ・カプーア
Anish Kapoor(1954年3月12日-)
1954年、インド、ボンベイでユダヤ人の家庭に生まれます。
現在はロンドンに在住し、1990年ヴェネツィア・ビエンナーレで2000
年賞を受賞。1991年にターナー賞を受賞。
英国を代表する現代美術作家のひとりであり、他に類をみない独創的な
作風が特徴です。
日本では2004年にオープンした金沢21世紀美術館の、部屋全体を作品
化したコミッションワークが有名です。
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パトリック・コールフィールド
Patrick Caulfield(1936年1月29日-2005年9月29日)
1936年生まれ。
1960年からロイヤル・カレッジ・オブ・アートに学びます。同級にデイ
ヴィッド・ホックニーやRBキタイがいます。
1964年、ロンドンのホワイトチャペル・ギャラリーの個展にてポップ・アー
ティストとしての名声を得ます。
カラフルな色面と太い縁取りの線によるシンプルな構成の作品が有名
です。英国を代表するポップ・アーティストのひとりです。
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ロナルド・ブルックス・キタイ(R.B.キタイ)
Ronald Brooks Kitaj (1932年10月29日-2007年10月1日)
1932年、アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランドにて生まれます。
1951年から商船の船員となって各国をまわり、その後ウィーン、ドイツ、フ
ランス、オックスフォードで美術を学び、1959年からロンドンのロイヤル・
カレッジ・オブ・アートで学びます。
文学や歴史などから受けたインスピレーションを作品に取り込み、1960年代
からポップ・アートを制作。英国を代表するアーティストです。
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アレン・ジョーンズ
Allen Jones(1937年9月1日-)
1937年、サウザンプトンに生まれます。
1961年から1963年にロイヤル・カレッジ・オブ・アートにて学びます。
1960年代からフェテッィシュやボンデージといったエロティックを表現
としたオブジェやフォト、コラージュ作品などを発表しています。
英国を代表するポップ・アーティストのひとりとされています。。
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ナチスの台頭による退廃芸術弾圧と第二次世界大戦は、多くの芸術家が
命を落としたり、アメリカへ移住するなどし、ドイツの芸術は壊滅的となります。
1955年、カッセルで開かれた現代美術展で退廃芸術と呼ばれた芸術が名誉
を回復。
1960年代からのフルクサスの時代以降、古代の神話からナチス・ドイツのい
まわしい時代まで含めたドイツの歴史や文化、戦前のドイツ表現主義の手法、
資本主義リアリズムを表現する作家が登場しています。
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ドイツの現代美術全般については買取重点商品です。
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ヨーゼフ・ボイス
Joseph Beuys(1921年5月12日-1986年1月23日)
1921年、ドイツ北西部の町、クレーフェルトに生まれます。
第二次世界大戦時にはドイツ空軍に入隊し東部戦線で戦い負傷、戦争末
期には西部戦線にて戦闘に参加しますが、イギリス軍の捕虜となります。
1960年代にフルクサスに参加、多くのオブジェを制作しパフォーマンスを
演じるようになります。
1970年代には、教授を務める芸術アカデミーにおいて、入学できる学生数
の制限に反対し、自分自身で「創造性と学際的研究のための自由国際大
学」を設立するなど思想家、活動家色が強まっていきました。
脂肪やフェルト、野うさぎの死骸を使った作品や、展覧会会場で観客と民
主主義について議論を交わしたり、創造性によって社会を形成するという
「社会彫刻」概念を生み出すなど、インパクトを与える表現と思想をもって
芸術の新たな可能性を広げ、多くの人々に影響を与えたアーティストです。
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ゲルハルト・リヒター
Gerhard Richter(1932年2月9日-)
1932年、旧東ドイツのドレスデンに生まれます。
ベルリンの壁によって東西ドイツの行き来が禁止される寸前の1961年、
西側のデュッセルドルフに移住し、デュッセルドルフ美術アカデミーに入学。
シグマール・ポルケと共に、「資本主義リアリズム」という芸術家グループ
を作ります。
初期の頃から製作されているフォト・ペインティング、モザイクのように多く
の色を並べた「カラー・チャート」、カンバス全体を灰色の絵具で塗りこめた
「グレイ・ペインティング」、様々な色を折りこまれた「アブストラクト・
ペインティング」、幾枚ものガラスを用いて周囲の風景の映り込む作品など、
多様な表現で現代資本主義の現実を描く世界的に評価の高い作家です。
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ゲオルグ・バゼリッツ
Georg Baselitz(1938年1月-)
1938年、旧東ドイツ、ドレスデン近郊の小さな町ドイチュバゼリッツに生
まれます。20歳のときに東ベルリンから西ベルリンに移住。米国の抽象
表現主義をはじめとする西側絵画に触れます。
1969年、人物や動物などのモチーフを「逆さ」にした衝撃的絵画を発表。
「モチーフの転倒」という特異な方法は現在に至るまで、現実のモチーフ
に従属しない自律した絵画を創生した方法、モダニズム絵画の方法とし
て世界中から極めて高い評価を受けています。
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アンゼルム・キーファー
Anselm Kiefer(1945年3月8日-)
1945年、ドイツのバーデン・ヴェルテンベルク州ドナウエッシンゲンに生ま
れます。
後にデュッセルドルフ芸術アカデミーで絵画を学び、ヨーゼフ・ボイスらに
師事しました。
1960年代末から、古代の神話からナチス・ドイツのいまわしい時代まで
含めたドイツの歴史をテーマとした写真や絵画作品を発表します。
1980年代以降は、巨大な画面に実物の藁が塗り込められたり、書物、
鉛、砂、衣服など多くの素材を使った、コンセプチュアルな意味が込めら
れた作品を発表しています。
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レベッカ・ホーン
Rebecca Horn(1944年3月-)
1944年、ドイツ・ヘッセ州に生まれます。
ハンブルグのアーツ・アカデミーで学んだ後、1972年にカッセルで開催され
た現代美術展「ドクメンタ5」に参加。
パフォーマンス、インスタレーション、映像、ドローイングなど、様々なメディ
アを駆使した作品を発表し、その自由な創造を通して、現代における芸術
の可能性を問いかけています。
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A.R.ペンク
A.R.Penck(1939年10月-)
1939年、旧東ドイツのドレスデンに生まれます。
東ドイツでの芸術活動は常に秘密警察の監視下にあり、その後の作風に
影響を与えたと言われます。1980年に西ドイツに移住します。
古代の表象文字や、地上絵のようなプリミティブなモチーフを多用し、ドイツ
絵画の新表現主義の発展に大きく貢献した画家・版画家のひとりです。
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ジグマー・ポルケ
Sigmar Polke(1941年2月13日-2010年6月10日)
1941年、現ポーランドのシレジア地方に生まれます。
1953年に西ドイツに移住した後、デュッセルドルフを拠点に芸術活動を始
めます。
1960年代にゲルハルト・リヒターらとともに「資本主義リアリズム」を掲げた
美術運動を展開してドイツ現代絵画の先鋒として世界的に高い評価を得
ています。写真やポップアートを絵画に取り入れながら、自身のトレードマ
ークのドットによる絵画、キャンバスの代わりにプリントの布地や透明なベ
ースに描いた絵画など、様々な実験的な手法を開拓しているアーティスト
です。
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ホルスト・ヤンセン
Horst Janssen(1929年11月14日-1995年8月31日)
1929年、ハンブルクにて生まれます。
1946年よりハンブルグ美術学校に学びます。
1950年代から版画作品を本格的に制作します。パウル・ヴンダーリヒから
銅版画を学びました。
1968年にヴェネチア・ビエンナーレの版画大賞を受賞して国際的に認めら
れます。
北斎を愛し、版画という共通点を持つということに以外に、北斎の人生に深
く共感しています。またその素描は「デューラーの再来」とも言われ、天才線
描家として名高いです。
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パウル・ヴンダーリッヒ
Paul Wunderlich(1927年3月10日-2010年6月6日)
1927年、ドイツ東部エーバースワルデで生まれます。
1947年よりハンブルグ美術学校に学びます。
エロス(愛)とタナトス(死)の世界を創造し、写真や歴史上の名画をメタモ
ルフォーゼ(変容)した幻想的なリトグラフ作品が高い評価を得ています。
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第二次世界大戦後、20年におよぶファシズム支配から開放され、復興
の中で新たな模索を始めます。
1947年、ルーチョ・フォンタナが「空間主義」を発表、1960年代には土や
水など自然のエレメントや鉄、ガラス等の工業素材といった「もの」を用
いた「アルテ・ポーヴェラ」や具象彫刻、抽象彫刻が豊かに実りました。
1970年代からは幻想的な絵画や、1980年代には色彩や形態などの点
で、自由で具象的な傾向を前向きに表現するトランス・アヴァンギャル
ディアと呼ばれる新表現主義が台頭しました。
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イタリア現代美術全般については買取重点商品です。
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アルベルト・ジャコメッティ
Alberto Giacometti(1901年10月10日-1966年1月11日)
1901年生まれ、スイス出身の彫刻家です。
1922年パリに転居し、その後アンドレ・ブルトンらシュルレアリストの文人
と交流します。
1935年にそれまでの出身のシュルレアリスム的作風を放棄して伝統的
方法で彫刻作品を制作。1950年代に「彫刻」としての限界と思えるほどに
細長い、肉付けも凹凸も無い作品を制作。
晩年には絵画、版画など平面芸術への回帰も見られました
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ルーチョ・フォンタナ
Lucio Fontana(1899年2月19日-1968年9月7日)
1899年、アルゼンチンに生まれます。
6歳のとき、父とともにイタリアに移住し、1914年にミラノに移住し、25歳の
時にアトリエを持ち抽象や非具象的な彫刻の制作を始めます。
1947年、従来の絵画や彫刻の枠を超え、時間と空間の統合された、キャン
バスに穴をあけたり、切り込みを入れた作品による「空間主義宣言」を発表
し、戦後の現代美術に多大な影響を与えました。
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ジョルジュ・デ・キリコ
Giorgio de Chirico(1888年7月10日-1978年11月20日)
1888年生まれ。イタリア出身のシュルレアリスムに大きな影響を与えた
画家です。
形而上絵画と呼ばれる透視画法を使用した作品を描き、パリの前衛芸
術運動の中で注目を浴びるようになります。
マネキン人形のような像、非日常の光景など「謎」を示すイメージなど、
シュルレアリスムの作家に多大な影響をもたらします。後年は古典主義
に回帰しました。
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エンツォ・クッキ
Enzo Cucchi(1949年11月-)
1950年、アドリア海に面したアンコナに生まれます。
1980年代、トランス・アヴァンギャルディアと呼ばれる新表現主義を代
表する一人です。
人体などをデフォルメして、原色や黒を多用した、色彩の強いコントラス
トによって描かれる絵画や、巨大な流木に彩色したドラマチックな詩的
形式を現実化した作品を創造。
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サンドロ・キア
Sandro Chia(1946年4月20日-)
1946年、フィレンツェに生まれ、フィレンツェ美術大学に学びます。
1980年代、トランス・アヴァンギャルディアと呼ばれる新表現主義を代
表する一人です。
ルネッサンス以降のイタリア絵画の伝統を始め、近代絵画の様々な手
法をとらえ直しながら、独自の具象的な世界を創り出しています。
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ジャコモ・マンズー
Giacomo Manzu(1908年10月22日-1991年1月18日)
1908年、ベルガモに生まれます。
1937年、ミラノ・トリエンナーレで金賞を受賞。1940年から1950年まで
ミラノのプレラ美術学校で彫刻科教授を務めました。
戦後イタリアの具象彫刻を代表する彫刻家です。
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ファウスト・メロッティ
Fausto Melotti(1901年6月-1986年6月)
1986年、トレンティーノ=アルト・アディジェ州にて生まれます。
ミラノ工科大学で機械工学を勉強した後、美術アカデミーに入学。生涯
の親友となるフォンターナと出会います。卒業にリチャード・ジノリ社の
陶器デザイナーとして活躍するとともに、近代建築と具象彫刻を結びつ
ける新しい彫刻を制作します。
1930年代には複数の旋律を調和させる音楽の作曲技法「対位法」をモ
デルとした彫刻を発表し、1940年代からはイタリアを代表する建築家、
ジオ・ポンティなどとともに世界各地で建築家とさまざまな協同作業を
行います。
現代イタリア抽象彫刻の巨匠として後年の作家たちに大きな影響を
与えました。
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マリノ・マリーニ
Marino Marini(1901年2月27日-1980年8月6日)
1901年、トスカーナ州ピストイアに生まれます。
フィレンツェ美術アカデミーで彫刻と絵を学び、18歳の時にパリへ。
ジョルジョ・デ・キリコらと交友を持ち、ミラノのブレーラ美術学校1970年
まで教鞭をとりました。
20世紀を代表するイタリア表現主義の彫刻家です。
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フランチェスコ・クレメンテ
Francesco Clemente(1952年3月-)
1952年、ナポリにて生まれます。
ローマ大学に学び、アルテ・ポーヴェラの作家などに影響を受けます。
1980年代、トランス・アヴァンギャルディアと呼ばれる新表現主義を代表
する一人です。
キリスト教の神や原始の異教的な神話や神々に興味を持った独自の世
界観を表現する作家として世界で高い評価受けています。
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チェッコ・ボナノッテ
Cecco Bonanotte(1942年-)
1942年、マルケ州に生まれます。
1959年、ローマ美術学校の彫刻科に入学し、ブランクーシやジョルジオ・
デ・キリコから影響を受けます。
「時間」「空間」というテーマが内在し、人間像を中核に温かみのある木
やブロンズ鋳造にこだわる現代具象彫刻の奇才です。
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レオナルド・クレモニーニ
Leonardo Cremonini(1925年11月-2010年4月)
1925年、ボローニャで生まれます。
1945年、ミラノのブレラ美術学校で学びます。
1951年にはパリへ美術留学し、その後パリで活躍しています。
人の欲望、深層心理表現し、抽象性と具象性を両立した独自の作品は
世界で高い評価を受けています。
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ヴァレリオ・アダミ
Valerio Adami(1935年3月-)
1935年、ボローニャに生まれます。
ミラノのブレラ美術学校に学び、初期には表現派的傾向の油画を描い
ていましたが、ポップ・アートの影響を受け風刺・諧謔的な作品を描く
ようになりました。
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アリギエロ・ボエッティ
Alighiero e Boetti(1940年12月-1994年2月)
1940年、トリノに生まれます。
アルテ・ポーヴェラに参加し、後にコンセプチュアル・アートのアーティス
トとして活躍します。
刺繍による世界地図による政治的、社会的、宗教的、歴史的な対立を
表現する作品が有名です。
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アルベルト・ブッリ
Alberto Burri(1915年-1995年)
1915年、ウンブリア州で生まれます。
第二次世界大戦に従軍し、チュニジアで英軍の捕虜となり、その後、
米軍にひきわたされテキサス州の
収容所に収容。ここで最初のアート活動を開始します。
1940年代後半よりぼろ布を使った作品を制作、その後赤や黒に染め
られた地塗りされない麻布による「ずた袋」と呼ばれる作品を発表します。
1960年代のアルテ・ポーヴェラの先駆者として多大な影響を与えた
アーティストです。
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著者名 :Barry McGee,Germano Celant,Miuccia Prada
出版社名:Fondazione Prada (2003/02)
発行年月:2003年2月
サイズ :320ページ 25*15cm
状態:
並(特に目立つ汚れやキズなどはありません)
sold-out
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開催 :1997年 東急百貨店
サイズ :143ページ 26*19cm
状態:
並(特に目立つ汚れやキズなどはありません)
sold-out
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