19世紀初頭に発明されたカメラ・オブスクラからダゲレオタイプ、カロ
タイプなどから始まる写真技術は、当初、産業革命の頃の中産階級の肖
像画が欲しいという需要と記録写真の時代でした。
19世紀中頃から写真技術が、コロジオン法の登場やタルボットの方式
(ネガポジ方式)を経て、1880年代のコダックのフィルム・カメラの
登場により写真は市場に乗り、さらに1925年に登場した35mmカメラ、
ライカなどによって一般的に広まり、その写真人工の増加により、写真
は写真技術や機械の発展とともに芸術として進化し始めました。
黎明期の写真家としては、ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タル
ボットの手軽なスケッチの手段として写真を用いたり、エドワード・
マイブリッジによる馬の連続写真が有名です。
19世紀後半から、絵画的な写真を求め、芸術としての写真を目指す写真家によって始め
られた運動、ピクトリアリスムが多くの写真家に支持されました。
1902年には、ニューヨークでピクトリアリスム標榜する写真家のグループ、フォト・
セセッションがアルフレッド・スティーグリッツ、エドワード・スタイケン、アルヴィン
・ラングダン・コバーン、フランク・ユージンらによって結成されました。
ウィーン分離派のハインリッヒ・キューンやカール・ストラスなども参加しています。
1910年頃から、ピクトリアリスムに対して絵画の模倣にすぎないという意識が強まり、
ピクトリアリスムを否定し、写真にしかできない視線で写真作品は制作されるべきとい
う思想が生まれます。アルフレッド・スティーグリッツらにより主張された、ストレー
トフォトグラフィよ呼ばれる、ぼかしや演出、合成などを用いることなく、見たままの、
あるがままの風景、人物を表現する新しい様式が出現します。
アンセル・アダムス、イモージン・カニンガムなどのグループf/64の写真家、アンドレ・
ケルテス、アンリ・カルティエ=ブレッソン、アウグスト・ザンダー、ウォーカー・エ
ヴァンズなどが、ストレートフォトグラフィを表現手段として用いた写真家として知ら
れています。またヨーロッパにおいてはバウハウスの芸術家、ラースロー・モホリ=ナ
ジに見られます。そしてストレートフォトグラフィとは別に、ヨーロッパでは未来派、
ダダ、シュルレアリスムなどの動きと連動して、写真独自の技巧、フォトグラム、フォト
モンタージュ、ソラリゼーションなどの技法を用いた、マン・レイをはじめとする前衛
的な写真が登場しました。この写真表現の出現によって、広告写真やファッション写真
がこの時期に大きく発展していきます。
19世紀後半のクリミア戦争、アメリカ南北戦争から始まったといわれる報道写真は、
写真技術・印刷技術の発展とマスメディアの発展により1920年頃から大衆に支持さ
れ始めます。第二次世界大戦前から、1936年の雑誌ライフの創刊や1947年のマグナ
ム・フォトの設立など、フォトジャーナリズムは現在まで写真史における重要な位置
を占めています。ロバート・キャパ、マーガレット・バーク=ホワイト、ウォーカー・
エヴァンズ、ユージン・スミスなどが有名です。
1960年代頃から、「写真の中では報道写真がもっとも優れている」という神話が崩れ
始め、写真作品は、それぞれの分野で進むべき方向が多種多様になり、ある時期ある
時期を捉えて、ある種の傾向でくくることができなくなります。
コンセプトが重要視され、写真が外見だけで判断されず、その背景にあるものを含め
て評価されるようになり、様々な表現方法が出現しています。
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ロバート・キャパ
Robert Capa(1913年10月22日-1954年5月25日)
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デヴィッド・ハミルトン
David Hamilton(1933年4月15日-)
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ロバート・メイプルソープ
Robert Mapplethorpe(1946年11月4日-1989年3月9日)
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リンダ・マッカートニー
Linda Louise McCartney(1941年9月24日-1998年4月17日)
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マン・レイ
Man Ray(1890年8月27日-1976年11月18日)
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アンセル・アダムス
Ansel Adams(1902年2月20日-1984年4月22日)
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ブラッサイ
Brassai(1899年9月9日-1984年7月8日)
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ウジェーヌ・アジェ
Jean-Eugene Atget(1857年2月12日-1927年8月4日)
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ユージン・スミス
William Eugene Smith(1918年12月30日-1978年10月15日)
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ロベール・ドアノー
Robert Doisneau(1912年-1994年)
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セバスチャン・サルガド
Sebastiao Salgado(1944年-)
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エド・ヴァン・デル・エルスケン
Ed van der Elsken(1925年3月10日-1990年12月28日)
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デュアン・マイケルズ
Duane Michals(1932年2月18日-)
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ヴィム・ヴェンダース
Wim Wenders(1945年8月14日-)
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アンドレ・ケルテス
Andre Kertesz(1894年7月2日-1985年9月28日)
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ヤン・サウデク
Jan Saudek(1935年5月13日-)
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デヴィッド・リンチ
David Keith Lynch(1946年1月20日-)
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エリオット・アーウィット
Elliott Erwitt(1928年7月26日-)
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アンリ・カルティエ=ブレッソン
Henri Cartier-Bresson(1908年8月22日-2004年8月3日)
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ラリー・クラーク
Lawrence Donald Clark(1943年1月1日-)
1905年ハンガリーで生まれます。
モジュール構造と単一形態の重要性を提示したモダニズムの建築家
です。1920年代、バウハウスで学び、後に教官となります。
1925年、バウハウスを代表する作品、世界初のスチールパイプを
使用したイス、ワシリーチェアを制作。
1930年代、ナチスの台頭によりロンドンへ、その後アメリカへ移住。
戦後、ニューヨーク近代美術館デモンストレーション・ハウス、
パリのユネスコ本部などを設計。
芸術とテクノロジーの融合した工業製品、家具同様に工業部材を用
いた、明快な理論を持つモダニズム建築から、晩年の曲線美や彫刻
的な表現を特徴とするブルータリズムの先駆としてデザイン・建築分
野に数々の名作を残しました。与えました。
■ カテゴリー:バウハウス
(マルセル・ブロイヤー関連の書籍は高価買取させていただきます)
●「洋書/In the Deco Style/アール・デコ・スタイル」
著者名 :Dan Klein,Nancy McClelland
出版社名:Thames & Hudson Ltd
発行年月:1987年2月
サイズ :228ページ 26*26cm
sold-out
テキスト:英語
20世紀最大の芸術様式、アール・デコのインテリア、家具、
建築などを多数カラー掲載。
マルセル・ブロイヤー/フランク・ロイド・ライト/バウハウス/
マイケル・グレイヴスほか。
1872年オランダで生まれます。ワシリー・カンディンスキーと並び、
本格的な抽象絵画を描いた先駆者とされています。
1912年、パリへ。キュビズムの影響を受ける。そして、さらに進化
し、抽象的な造形に変化。
1914年、オランダへ一時帰国、垂直線と平行線による画面構成が始
まります。1921年、代表作である、水平・垂直の直線と三原色から
成る「コンポジション」の作風が確立。
1925年、「新造形主義」をバウハウス叢書として出版。急進的な抽象
展開のため、芸術雑誌「デ・ステイル」を離脱。
大戦のため1938年よりロンドン、そしてニューヨークへ移住。
1944年、ニューヨークにて没。
具象から、キュビズムを突き抜け、色彩と形態のみでの純粋な造形
という未開の表現方法を切り開き、その造形言語は後世多大な影響を
与えました。
■ カテゴリー:バウハウス
(ピエト・モンドリアン関連の書籍は高価買取させていただきます)
●「洋書/Piet Mondrian/Sa vie, Sou OEuvre/ピート・モンドリアン」
著者名 :Michel Seuphor
出版社名:Flammarion
発行年月:1970年
サイズ :444ページ 30*22cm
sold-out
テキスト:フランス語
本格的な抽象絵画を描いた最初期の画家、ピート・モンドリアン
の初期から晩年の作品を多数掲載し解説する444ページに
わたるモンドリアン芸術の集大成です。
1888年、スイスのベルンに生まれます。
小学校教師になった1913年から亡くなる1967年まで、独自の造形
理論・形態論・色彩論・美術教育論に取り組んだ、バウハウス初期
ワイマール時代の指導者のひとりの造形作家です。
1923年にバウハウス校長のヴァルター・グロピウスとの理念の違
いによりバウハウスを解雇されます。
1926年にベルリンにて学校「イッテ・シューレ」を開校、日本か
らも竹下夢二などが訪れました。
バウハウスや自身の学校において独自の造形論および色彩論は後世に
多大な影響を与えました。
■ カテゴリー:バウハウス
(ヨハネス・イッテン関連の書籍は高価買取させていただきます)
いています。
●「洋書/Bauhaus/1919 - 1933/
バウハウスの歴史/1919-1933年」
著者名 :Bauhaus Archiv,Magdalena Droste
出版社名:Taschen America Llc
発行年月:2006年8月
サイズ :256ページ 31*25cm
sold-out
テキスト:英語
造形美術、工芸、デザイン、建築をひとつに縮める総合芸術
のユートピア、ひとつの社会運動であったバウハウスの歴史を
多数の作家の作品とともに解説する1冊です。
オスカー・シュレンマー/リオネル・ファイニンガー/マルセル・
ブロイヤー/ワシリー・カンディンスキー/パウル・クレー/
ヨハネス・イッテン/ピート・モンドリアンほか。
1883年ベルリン生まれ。バウハウスの創立者であり、初代校長を勤めた
モダニズムを代表するドイツの建築家です。
近代建築の四大巨匠(ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、
ミース・ファン・デル・ローエと共に)のひとりとされています。
1926年、デッサウに移転したバウハウスの新校舎をヴァルター・グロピウス
が設計し、著書「国際建築」(バウハウス叢書第1巻)とともにモダニズム
建築の代表作として世界中に知られるようになりました。
1933年のナチスによるバウハウス閉鎖後イギリスへ亡命。
戦後はアメリカで設計事務所を設立。高層ビルなどを設計しました。
インターナショナル・スタイル(国際様式・国際建築)の提唱者としても
知られ、「造形は機能に従うものであり、国を超えて、世界的に統一された
様式をもたらす」との理念により、1926年のバウハウス新校舎は設計されました。
■ カテゴリー:バウハウス
(ヴァルター・グロピウスの建築関連の書籍は高価買取させていただきます)
1866年モスクワに生まれます。
30歳のときにミュンヘンで絵の勉強を始め、象徴主義の大家フランツ・
フォン・シュトゥックに師事します。
1912年にはフランツ・マルクとともに芸術年刊誌「青騎士」を刊行。
その後モスクワに戻りますが、革命初期のソ連では前衛芸術は認められていましたが
スターリンが台頭するようになると軽視されるようになったため再びドイツへ戻ります。
1922年からバウハウスで教官を務め、1933年にナチス・ドイツによってバウハウス
が閉鎖されるまで勤務。
1941年パリ郊外で没。
モンドリアンなどどともに抽象絵画の先駆者として位置づけられています。
また1920年代の作品には、バウハウスの同僚パウル・クレーの影響が見られます。
ワシリー・カンディンスキーの画集は高価買取を
させていただいています。
1886年ドイツのアーヘン生まれ。1930年からバウハウスの代三代
校長を勤めたモダニズムを代表するドイツの建築家です。
近代建築の四大巨匠(ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、
ヴァルター・グロピウスと共に)のひとりとされています。
1927年、ドイツ工作連盟主催のシュトゥットガルト住宅展に参加、
ル・コルビュジエやヴァルター・グロピウスらとともに実験的な集合
住宅を建設。
1929年にバルセロナ万国博覧会ドイツ館、鉄とガラスで構成され、
大理石の壁を配し、モダニズムの空間を実現したバルセロナ・パヴィリオン
を設計。1933年のナチスによるバウハウス閉鎖後アメリカに亡命。
戦後は高層ビル、美術館、別荘などの設計に携わっています。
ミース・ファン・デル・ローエの関連書・特集号などは高価買取を
させていただいています。
●「洋書/Mies van der Rohe/
Die Kunst der Struktur L'Art de la Structure/
ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエの建築」
著者名 :Werner Blaser
出版社名:Verlag fur Architektur
発行年月:1965年
サイズ :227ページ 27*25cm
sold-out
テキスト:ドイツ語
20世紀のモダニズム建築を代表するドイツの建築家、
ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエの建築
プロジェクトを、多数のモノクロ写真と図面、ドローイング
などとともに解説する1冊です。
1944年、オランダ、ロッテルダムに生まれます。
ロンドンにある英国建築協会付属建築専門大学で学び建築家となり、その後、自分の
建築設計事務所OMAとその研究機関であるAMOを設立します。
現代建築界の最前線で世界を挑発し続ける建築家、都市計画家です。
ボルドーの家、サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン、中国中央電視台本部ビル、
プラダ・エピセンターなど時代の先端といわれる建築を設計。
ジョセフ・アルバースの関連書・特集号などは高価買取を
させていただいています。
●「洋書/Josef Albers/Interaction of Color/
ジョセフ・アルバース/色彩構成-配色による創造/
81葉のオプアート視覚効果実例作品」
著者名 :Josef Albers
出版社名:Josef Keller Verlag
発行年月:1963年
サイズ :39*27cm
sold-out
テキスト:ドイツ語
オプティカル・アートやミニマル・アートなど、20世紀抽象絵画
の流れに計り知れない影響を与えたバウハウス出身の画家、
ジョセフ・アルバースによる、オプ・アートの色彩の明度対比、
相互干渉効果についての解説書です。
81葉のオプアートの視覚効果実例作品を収録するとともに、別冊
にてその効果を理論的に解説する、視覚効果の実体験ができる
セットです。
解説2冊、実例作品81葉のドイツ語版、入手困難な書籍です。
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1919年、ドイツのワイマール市に開校された、工芸・写真・デザイン・建築
に関する総合教育を行った造形芸術学校です。
ナチスにより閉鎖される1933年までの14年間存在。後世の美術芸術・美術
思想・美術教育等に多大な影響を与えました。
初代校長で建築家のヴァルター・グロピウスは、「生活機能の総合場である
建築のもと、彫刻・絵画・工芸などの諸芸術と職人的手工作など一切の造形
活動を結集して、芸術と技術の再統一を図る」という教育理念のもと、新しい
教育システムを実施しました。
画家のカンディンスキーやパウル・クレー、ヨハネス・イッテン、モホリ=
ナジ・ラースロー、舞台芸術家のオスカーシュレンマーなどを教授に迎えました。
デザイン運動のひとつの頂点を形作ったものとして高く評価されていて、
グラフィック・デザインおよび家具デザインの分野にその成果が認められます。
1926年には、グロピウス自身が設計したデッサウの校舎に移転。近代工業が
発展しつつある当時において、その生産形式・生活様式に応じた芸術のあり方
を示しました。
その後、校長はハンネス・マイヤーを経てミース・ファン・デル・ローエに
代わりますが、33年にはナチスの圧力でその幕を閉じてしまいます。その後
もその理念はシカゴの「ニュー・バウハウス」における運動とドイツのウルム
造形大学におけるデザイン運動へと継承されていきました。
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リオネル・ファイニンガー
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建築の専門書の買取について
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1944年、オランダ、ロッテルダムに生まれます。
ロンドンにある英国建築協会付属建築専門大学で学び建築家となり、その後、自分の
建築設計事務所OMAとその研究機関であるAMOを設立します。
現代建築界の最前線で世界を挑発し続ける建築家、都市計画家です。
ボルドーの家、サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン、中国中央電視台本部ビル、
プラダ・エピセンターなど時代の先端といわれる建築を設計。
レム・コールハースの建築書、雑誌の特集号などは高価買取を
させていただいています。
●「TNプローブ/Vol.2/1995年」
著者名 :OMA/レム・コールハース
出版社名:TNプローブ
発行年月:1995年10月
サイズ :72ページ 25*18れmcm
sold-out
特集/OMA/レム・コールハースのジェネリック・シティ
ボルドーの住宅
抹消された記憶と場所は/磯崎新
新東京/荒木経惟
おじんカルチャー×ユースカルチャー/貝島桃代
無個性の快楽/レム・コールハース
アエーデス・ギャラリー