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1910年代初頭にロシアで誕生し1917年ロシア革命を契機にソビエト連邦誕生時を経て、大衆に広まった、キュビスム、未来派、構成主義を中心とした前衛芸術運動の総称です。その分野は建築、プロダクトデザイン、写真、映画、音楽、文学、グラフィックなどと多岐にわたり、社会的・政治的な問題と密接に繋がった芸術と言えます。
第一次大戦間において、次第にカジミール・マレーヴィチに代表されるシュプレマティスムならびにウラジーミル・タトリン等に代表されるロシア構成主義が台頭し、ロシア革命後は表現上の革新と政治革命により、プロパガンダ・アートが開花しました。
その後1930年代に吹き荒れたスターリニズムと社会主義リアリズムにより衰退し終息を迎えます。
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ウラジーミル・タトリン
Vladimir Tatlin(1885年-1953年)
1885年、ウクライナ、ハリコフ生まれ。
1920年代ソビエト連邦のロシア・アヴァンギャルドおよびロシア構成主義の代表的な作家のひとりで、建築、彫刻、絵画、デザインなど多岐にわたって活躍し、彼の前衛的思想は、後世の建築家・芸術家に大きな影響を与えました。
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アレクサンドル・ロトチェンコ
Aleksander Rodchenko(1891年-1956年)
1891年、サンクトペテルブルグ生まれ。
カザン美術学校で学び、1914年モスクワに移り、タトリンらとともに抽象的な絵画、立体を発表し、構成主義を積極的に推し進めます。
1921年に絵画を放棄した後、詩人マヤコフスキーと親交を結び、共同でポスターを制作し、グラフィックデザインに新風を吹き込み、また、舞台装置、工業デザインなども手掛けました。
1924年頃より写真の撮影を開始。ポートレートや風景写真を多数残し、彼の作品は、現在の美術家、デザイナー、建築家、写真家などにも影響を与えています。
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エル・リシツキー
El Lissitzky(1890年-1941年)
1890年、スモレンスクの郊外生まれ。
1909年、ドイツのダルムシュタット工科大学に入学し建築の勉強を始めます。
1919年から1921年にかけて「プロウン」(新しいものの確立のプロジェクト)と題された、フォルムと構成の建築様式的な実験モデルを制作。
1923年にソビエト国家主導で「フォトモンタージュ研究所」を設立。
ロシア構成主義の一員であり、グラフィック・デザイン、ブック・デザイン、建築、写真など多数の作品を残しています。
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ナウム・ガボ
Naum Gabo(1890年-1977年)
ロシア構成主義を初めに提唱した人物といわれています。
金属、ガラス、針金やプラスチックでつくられる、新しい彫刻の形を求めた作品を発表しています。
1923年にスターリニズムから逃れベルリン、ロンドン、パリ、アメリカへと移住。
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カジミール・マレーヴィチ
Kasimir Malevich(1878年-1935年)
1878年、キエフ近郊に生まれます。
1910年頃に、キュビスムや未来派の強い影響を受けて派生した、色彩を多用しプリミティブな要素を持つ「立体=未来派(クボ・フトゥリズム)」と呼ばれる傾向の作品を制作。
その後の1910年代半ばに、無対象を主義とする抽象性を徹底した「シュプレマティスム(絶対主義)」を主張します。
シュプレマティズム絵画の制作に従事して以降、マレーヴィチはしばらく絵画から遠ざかり、建築の分野での考察を開始し、彫刻/オブジェを制作します。
やがてスターリニズムの嵐が吹き荒れる1930年代には、写実的な具象絵画に戻り、その一生を終えています。
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ウラジーミル・シューホフ
Vladimir Shukhov(1853年-1939年)
1853年、ロシア、クルスク地方生まれ。
1871年に帝国モスクワ工業学校(現モスクワ工科大学)に入学。
その後、アゼルバイジャンのバクーにあった石油施設の設計に従事し、ロシア初の石油パイプラインの設計に参加。
汎ロシア博覧会の給水塔・パビリオン、キエフ駅のプラットフォーム、シャーボロフスカヤのラジオ塔など、シューホフ・タワーと総称される、鉄線を格子状に組んで双曲面建築構造の外観をもつ塔を創出し、ロシア・アヴァンギャルド建築に多大な影響を与えました。
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ナターリア・ゴンチャローワ
Natalia Goncharova(1881年-1962年)
1881年、ロシア、トゥーラ近郊に生まれます。
モスクワ美術アカデミーに彫刻を学び、ロシア民芸のプリミティヴな側面に深く触発されて絵画を制作。
1911年にミュンヘンの前衛美術グループ「青騎士」に創設メンバーとして加入します。
革命前夜のロシア前衛芸術運動の主要な作家であり、未来派の指導者として活躍。
1939年にフランスに帰化し、1962年パリで亡くなります。
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ステンベルグ兄弟
Vladimir Stenberg (1899年-1982年) and Georgii Stenberg (1900年-1933年)
モスクワ生まれ。
ロシア構成主義を代表する作家です。
数多くのグラフィックを制作しています。特に「戦艦ポチョムキン」「十月」などの映画ポスターは、ロシア・アヴァンギャルドを代表する傑作と言われています。
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ミハイル・ラリオノフ
Mikhail Larionov(1881年-1964年)
1881年、現モルドヴァ共和国のティラスポリ生まれ。
1900年にナターリヤ・ゴンチャローワと出逢い、生涯の伴侶となります。
「ダイヤのジャック」(1909年-1911年)と「ロバの尻尾」1912年-1913年)といった急進的な芸術集団を結成。1911年、抽象芸術の一派たるレイヨニスムを提唱し、革命前のモスクワ前衛美術運動の中心的な作家でした。
1915年にパリに移住し、その後は夫人とともにディアギレフのロシア・バレエ団のための舞台装置を手掛けています。
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コンスタンチン・メーリニコフ
Konstantin Melnikov(1890年-1974年)
1890年、モスクワ生まれ。
1924年レーニン廟、1925年パリ現代産業装飾芸術万国博覧会ソ連パビリオンを発表し、世界的にも注目を浴びるようになります。
1920年からは、モスクワ高等芸術技術工房で教鞭をとるようになります。
1933年、ル・コルビュジェ, ミース・ファン・デル・ローエらとともに第5回ミラノ・トリエンナーレの招待を受け参加。
1937年、スターリニズムの余波を受け、形式主義者として糾弾され隠棲同様の生活を余儀なくされ、その後1965年に名誉を回復します。
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江戸時代中期に活躍した画家です。
20代後半から絵を描きはじめ、最初は狩野派に学びます。
その後、宋元画の花鳥画を多数模写するなど、
身近な動植物の写生に努めます。
緻密な描写と美しい色彩で描かれた花鳥画は
装飾的にも芸術としても高い評価を得ています。
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江戸時代中期に活躍した画家です。
青年期は伊勢・播磨地方で作画活動を行います。
毒々しく破天荒な作風が特徴で
「異端」「狂気」の画家と呼ばれました。
丁寧で細やかな描写と大胆な構図、
そして伝統的な故事などを画題に扱いながらも
その不気味でグロテスクな表現で描かれる蕭白の絵は
見るものに強烈な印象を与えます。
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江戸時代末期に活躍した浮世絵師です。
15歳で初代歌川豊国に入門し、
数年後に役者絵や挿絵などの作品を発表します。
奇抜なアイデアと巧みな描写力で
迫力のある武者絵から、ユーモア溢れる戯画まで
数々の作品を描きました。
20世紀に入ってからは「幕末の奇想の絵師」として
注目され、再評価されるようになりました。
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江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した画家です。
7歳で歌川国芳に入門し、浮世絵を学んだ後、
狩野派に移り、徹底した絵画修業を積みます。
世相を批判した戯画・狂画や妖怪画のほか
伝統絵画をはじめ様々な絵画なども描き上げました。
鋭い写実とユニークな画風は海外でも高く評価されています。
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江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した画家です。
12歳で歌川国芳に入門し、浮世絵を学びます。
「血みどろ芳年」と呼ばれ、血なまぐさい場面を描いた
無惨絵で一世を風靡しました。
美人画、役者絵、歴史画、武者絵など、その画業は
多岐に渡り、優れた作品を数多く残しています。
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岐阜県出身の洋画家です。
28歳でフランスへ渡り、パリ美術学校で洋画を学んだ後、
合田清とともに画塾(生巧館)を主宰します。
その後、松岡寿らと明治美術会の設立に尽力し、
日本洋画壇で宮廷画家として活躍します。
日本最初の油絵画家で「日本洋画の父」と呼ばれ、
日本の油絵・洋画の普及に大きく貢献した人物です。
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茨城県出身の画家です。
中丸精十郎に師事し洋画を学んだ後、工部美術学校に入学します。
その後、正教会に改宗し、聖像画家としてロシアへ留学します。
日本初のイコン画家としてニコライ堂のほか、
日本各地の教会に150点を超える作品を残しており、
イコン画の最高傑作「ウラジーミルの聖母」は
ロシアの至宝と称えられ、高く評価されています。
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岐阜県出身の洋画家です。
東京美術学校西洋画科選科で絵を学び、
将来を期待される若手画家の1人でしたが
生活のために絵を描くことはありませんでした。
60歳を過ぎて書や墨絵を描くようになり、
シンプルな構図の中に絵画の真髄を具現する画風は
「熊谷様式」とも言われ、高い評価を得ました。
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東京都出身の画家・彫刻家です。
東京美術学校西洋画科を卒業後、パリへ渡り、
モディリアニらとともに活躍しました。
優美な美しさが印象的な「乳白色の肌」を持つ裸婦像で
一躍有名になり、エコール・ド・パリの代表画家として
現在もフランスにおいて最も有名な日本人画家であり、
絶大な人気を得ています。
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福岡県出身の画家です。
東京帝国大学で水産学を学ぶ傍ら、独学で絵を描きます。
徹底した写実が特徴で、精緻な筆使いで描写される作品の
数々は高い評価を得ています。
生涯家族を持たず、自給自足の生活をしながら
絵を描き続けた彼は、孤高の画家と呼ばれました。
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長野県出身の童画家・版画家・造本作家です。
東京美術学校西洋画科で絵を学びます。
絵雑誌「コドモノクニ」の表紙を手がけるなど、児童雑誌の
挿絵、図案、おもちゃ開発など幅広い分野で作品を残しました。
幾何学的な線で描かれたユニークで幻想的な世界は
堀内誠一、手塚治虫など数多くの作家に影響を与えました。
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鹿児島県出身の洋画家です。
青山学院中等部を卒業後、有島生馬に師事します。
1921年にはフランスへ渡り、リヨン美術学校で学びます。
詩情あふれる優しい曲線と色調で描かれた美人画が有名で
数々の賞を受賞するなどその作品は高く評価されています。
1961年には二科会会長に就任、1969年にはフランス政府
より文芸勲章を授与されています。
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東京出身の童画画家です。
10歳で狩野派の画家荒木探令に大和絵を学び、
その後、日本画家井川洗崖の弟子になります。
雑誌「おとぎの世界」「コドモノクニ」などで表紙や挿絵を描き、
その美しく繊細な線と幻想的なデフォルメで描かれた童画は
今でもなお多くの人たちに愛されています。
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大正から昭和にかけて活躍した挿絵画家です。
竹久夢二と出会い、「少女画報」の挿絵を描いてデビューします。
その美しくモダンな画風は一躍注目を集め、
その後も小学館や講談社の絵本など数々の挿絵を手がけます。
作品のほとんどには女性が描かれており、
叙情的で美しい女性の姿はとても魅力的です。
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愛媛県出身の画家です。
独学で油絵を学んだ後、平塚運一、恩地孝四郎に師事します。
「山の版画家」として知られ、山の風景や山男をテーマに
描かれた力強い作品は、数々の賞を受賞するなど
国内外の多くの人に高く評価されています。
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青森県出身の画家です。
少年時代にゴッホと出会い、画家を目指すようになります。
ダイナミックな造形美とエネルギーに満ちあふれた作品の
数々は後続の日本美術に大きな影響を与えました。
また、仏教をモチーフにした作品が多いことでも有名です。
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石川県出身の洋画家です。
上京後、藤島武二、安井曾太郎に学びます。
1940年には従軍画家となり、戦争記録画を描きます。
戦後は第二紀会を結成し、挿絵画家としても活躍しました。
鋭い観察力と卓越した人物描写力が特徴の彼の作品は
後の日本洋画界に多大な影響を与えました。
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山口薫(1907年〜1968年)
群馬県出身の洋画家です。
東京美術学校卒業後、フランスで絵を学びます。
帰国後は新時代洋画展の結成、モダンアート協会の創立に
参加するなど、新しい日本洋画家の中心的存在として活躍しました。
詩情に富む清々しい作風で「詩魂の画家」と呼ばれ、
その造形的な感性と独特の色彩で描かれる作品は
数々の賞を受賞するなど高く評価されています。
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野田英夫(1908年〜1939年)
アメリカ出身の洋画家です。
美術専門学校を中退後、壁画・テンペラ画を研究し、
ディエゴ・リベラの助手として壁画制作に参加しました。
帰国後は二科展や個展で油絵作品を発表し、
美しく繊細な線と深みのある色彩で描かれる
独自の画風が注目され話題になりましたが
脳腫瘍のため30歳という若さで他界しました。
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岡本太郎(1911年〜1996年)
神奈川県出身の芸術家です。
東京美術学校を中退後、パリに渡り、
芸術運動に参加しながら哲学・民族学を学びます。
帰国後、二科会や個展などで次々と作品を発表し、
現代芸術の旗手として注目されました。
大胆な構図で描かれる絵画や独創的なオブジェなど
そのダイナミックな表現力は見るものを圧倒させます。
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松本竣介(1912年〜1948年)
東京都出身の洋画家です。
中学時代に聴力を失い、以後絵を描き始めます。
太平洋画会研究所で絵画を学び、二科展・九室会展に
出品するようになります。
都会の人々や建物を題材に心象風景を写し出す彼の作品は
詩情豊かな線と透明感のある色調で描かれ、
今もなお心に響く画家として人気を得ています。
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萩原英雄(1913年〜2007年)
山梨県出身の画家です。
東京美術学校を卒業後、高見澤木版社に入社します。
病気療養中に油彩画から木版画に転身し、
以後数々の版画作品を発表し、多数の賞を受賞します。
独自の技法を編み出し、複雑な表現で作り出される木版画は
世界的にも高く評価されています。
木版画のほか、ガラス絵やコラージュ、墨彩画や書など
幅広いジャンルで作品を発表しています。
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中原淳一(1913年〜1983年)
香川県出身のイラストレーターです。
日本美術学校を卒業後、西洋絵画の勉強に励みます。
「少女の友」の挿絵を描いたことがきっかけで
少女向き挿絵画家として一躍有名になり、
女性雑誌「ひまわり」「それいゆ」を創刊し、
挿絵のほか編集、服装美術などにも手腕を発揮します。
大きな瞳に美しい服装の可憐な少女の姿は
今もなお多くの女性を魅了し続けています。
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松田正平(1913年〜2004年)
島根県出身の画家です。
東京美術学校卒業後、フランスへ渡ります。
山口師範学校、国画研究所などの講師を経て、
著名になったのは50歳を過ぎてからでした。
身近なものの美しさを描き続け、
その美しいマチエールと自由奔放な作風は
洲之内徹や白洲正子などから高い評価を得ました。
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浜田知明(1917年〜)
熊本県出身の版画家・彫刻家です。
東京美術学校卒業後、兵役につきます。
戦後、軍隊体験をもとに戦争をテーマにした作品や
現代社会が直面する問題への風刺などさまざまな
作品を発表してきました。
ブラックユーモアを織り交ぜ表現した
繊細で静かな世界には強いメッセージが込められています。
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山下菊二(1919年〜1986年)
徳島県出身の画家です。
香川県立工芸学校を卒業後、福沢一郎の絵画研究所に入り、
ダリなどシュルレアリストの影響を受けます。
1939年から台湾、中国で兵役に服し、
戦後は自らの戦争体験や社会問題をテーマに
土俗的でシュールな作品を描き続けました。
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宮永岳彦(1919年〜1987年)
静岡県出身の画家です。
名古屋市立工芸学校を卒業後、松坂屋に入社します。
2度の兵役後、松坂屋に勤務しながら創作活動を続けます。
華やかな美人画で広く知られ「光と影の華麗なる世界」と
称された彼の絵は独自の画風の地位を確立しました。
油絵のほか、表紙、挿絵、ポスター、水墨画など
その作品は多岐にわたります。
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野見山暁治(1920年〜)
福岡県出身の画家です。
東京美術学校卒業後、満州での入院生活を経て渡仏し、
サロン・ドートンヌ会員となります。
安井賞、芸術選奨文部大臣賞など数々の賞を受賞し、
2000年には文化功労者に選ばれました。
みずみずしい色彩で描かれた
原風景と心象風景が織りなす力強い作品が印象的です。
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谷内六郎(1921年〜1981年)
東京都出身の画家です。
10代の頃から新聞・雑誌に漫画・カットなどを投稿し、
1955年には文芸春秋漫画賞を受賞します。
「週刊新潮」の表紙絵を創刊号から26年間描き続け、
叙情画家としての地位を確立しました。
やさしいタッチで描かれる昔なつかしい情景は
今でも多くの人を魅了し続けています。
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山下清(1922年〜1971年)
東京都出身の画家です。
幼い頃の病気がもとで軽い知的障害になり、
養護学園で出会ったちぎり紙細工で才能を発揮します。
その後、たびたび日本各地を放浪してまわり、
旅から帰ると記憶を元に貼絵を制作するようになります。
鮮やかな色彩で表現される日本の美しい景色は
「日本のゴッホ」と称され世界中の人々を魅了しました。
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斎藤真一(1922年〜1994年)
岡山県出身の画家です。
東京美術学校卒業後、フランスへ渡り、
藤田嗣治らと親交を深めます。
吉原の遊女、瞽女、盲目の旅芸人など数々の女性を
モチーフに独特の精神世界を描き出します。
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中村正義(1924年〜1977年)
愛知県出身の画家です。
夏目太果、中村岳陵に学び、
様々な画風に挑戦し、日展などで活躍するようになります。
映画用絵画、舞台美術などの制作のほか、
画壇の変革を目指し、从会を結成するなど
多方面で活動を展開しました。
強烈な色彩とフォルムを持った顔の絵が有名です。
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芝田米三(1926年〜2006年)
京都府出身の洋画家です。
京都商業学校で今井憲一に指導を受け、
独立美術京都研究所では須田国太郎に学びます。
その後、独立展などで次々に作品を発表します。
清楚な婦人像や母子像が有名で、幻想的、優美な画風は
数々の賞を受賞するなど高く評価されています。
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宮田雅之(1926年〜1997年)
東京都出身の切り絵画家です。
明星学園卒業後、谷崎潤一郎に見出され
挿絵画家としてデビューします。
刀1本で切り上げる美しく独創的な切り絵は神業とも言われ、
1995年には日本人画家初の国連公認アーティストに
選ばれるなど世界的にも高い評価を得ています。
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鴨居玲(1928年〜1985年)
石川県出身の洋画家です。
金沢美術工芸専門学校で宮本三郎に学びます。
二紀会を中心に作品を発表しますが
その後、創作に行き詰まり南米へ旅立ちます。
帰国後に発表した作品が高く評価され注目を集めますが、
57歳で急逝してしまいます。
人間の苦悩や悲哀を描き出した鬼気迫る絵の数々は
見るものに強烈なインパクトを与えます。
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草間弥生(1929年〜)
長野県出身の画家・彫刻家・小説家です。
1957年にアメリカへ渡り、次々と独創的な作品を発表し
「前衛の女王」として有名になります。
帰国後も、コラージュ、版画、野外彫刻、映像など
多岐に渡る作品を発表しており、
その個性的な活動は世界中の注目を集めています。
水玉や網目のモチーフを使った作品が多いのも特徴的です。
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高塚省吾(1930年〜2007年)
岡山県出身の洋画家です。
東京芸術大学で梅原龍三郎らに学びます。
その後、日本アンデパンダン展などで作品を発表するほか、
映画美術、衣裳デザイン制作など多方面で活躍します。
裸婦画、美人画を中心に高い評価を得ており、
繊細に描かれた透明感溢れる美しい絵の数々は、
今もなお多くの人々を魅了しています。
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島田章三(1933年〜)
神奈川県出身の洋画家・版画家です。
東京藝術大学卒業後、国画会に所属し制作活動を行います。
抽象化された独特の人物表現が特徴で
独自の画風を確立させました。
安井賞受賞、東郷青児美術館大賞、日本芸術院賞
など数々の賞を受賞しています。
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加納光於(1933年〜)
東京都出身の版画家です。
独学で版画を学んだ後、東京国際版画ビエンナーレ展など
数々の国際展で高い評価を得て注目を集めます。
1969年からはオブジェ制作、コラージュを援用した版画など
実験的技法を駆使した作品を制作します。
鮮やかな色彩で作り出される
デカルコマニーを中心とした作品が多いのも特徴です。
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池田満寿夫(1934年〜1997年)
長野県出身の画家・版画家・彫刻家です。
高校卒業後、上京し版画家としてデビューします。
その後、ヴェネツィア・ビエンナーレで版画部門国際大賞を受賞、
世界的に注目を集める芸術家となります。
大胆な構図のリトグラフ、精妙な銅版画、官能的な作風まで
画風や技法が様々に変化していったのも特徴です。
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中村清治(1935年〜)
神奈川県出身の洋画家です。
東京芸術大学卒業後、東京銀座で初の個展を開きます。
積極的に渡欧し、制作活動を行うほか、
「黎の会」「和の会」の結成にも参加し活躍します。
日常の風景や人物を美しい色彩と独特なフォルムで
描き出した清涼な世界は見るものを魅了します。
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野田弘志(1936年〜)
広島県出身の画家です。
佐ヶ谷美術学園洋画研究所で森清治郎に油彩画を学んだ後、
東京芸術大学へ入学、在学中に白日賞を受賞し注目を集めます。
卒業後、イラストレーターとして働く傍ら、作品を発表します。
その徹底的な細密描写は高い評価を得ており、
現代日本の具象画壇を代表する画家として有名です。
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高松次郎(1936年〜1998年)
東京都出身の画家です。
東京藝術大学で小磯良平に学び、
卒業後は、読売アンデパンダン展へ作品を出品しています。
前衛芸術に傾倒、中西夏之、赤瀬川原平らと共に
数多くのパフォーマンスを実践し活躍しました。
抽象的で反芸術的な色合いが濃い作品が多く、
日本の前衛芸術運動に大きな影響を与えました。
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金子国義(1936年〜)
埼玉県出身の画家です。
日本大学藝術学部卒業後、デザイン会社に勤務します。
澁澤龍彦の依頼で「O嬢の物語」の挿絵を担当し、
その後、個展を開きデビューします。
官能的な少年少女の絵が有名で、
退廃的で耽美な雰囲気を漂わせる作品は
若い女性を中心に人気を集めています。
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李禹煥(1936年〜)
韓国出身の画家・美術家です。
日本大学で西欧近代哲学を学びながら絵を描きます。
美術出版社芸術評論募集で論文が入賞し、
その後、サン・パウロ・ビエンナーレなどに参加します。
物と物の関係性を喚起させた「関係項」シリーズが注目を集め、
ヘンリー・ムーア大賞展優秀賞、日本文化デザイン賞など
数々の賞を受賞し、高く評価されています。
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中島千波(1945年〜)
長野県出身の画家です。
東京芸術大学を卒業後、第54回院展に初入選し、
その後も、数々の美術展で賞を受賞しています。
大胆な構図と美しい色彩で描き出される桜や四季の花々は、
パリで個展を開催するなど国際的にも高く評価されています。
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城景都(1946年〜)
愛知県出身の画家です。
幼い頃から音楽と絵に興味を持ち、
学生時代には音楽活動を行いながら、絵を描きます。
近藤正治との出会いをきっかけに画家への道に進み、
国内外で数々の賞を受賞するようになります。
貫乳風のひび割れをあしらった独特の手法で描き出す
官能的で淫靡な世界は見るものに強烈なインパクトを与えます。
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有元利夫(1946年〜1985年)
岡山県出身の画家です。
東京芸術大学卒業後、電通に入社し、
デザイナーとして働く傍ら、個展で作品を発表します。
仏画とフレスコ画から影響を受け、日本画でも西洋画でもない
新しい作風を確立させ、注目を集めました。
優しい色合いの絵肌と、ユニークにデフォルメされた人物が
特徴的です。
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青木敏郎(1947年〜)
京都府出身の画家です。
東京造形大学卒業後、ベルギーへ渡り、
フェルメールなどの作品を模写し伝統技法を学びます。
帰国後は個展を開催し、次々と作品を発表します。
風景画から静物画まで写実性を極めた優れた画風が
国内外で高く評価されています。
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智内兄助(1948年〜)
愛媛県出身の洋画家です。
東京芸術大学大学院油画科修了後、展覧会やコンクールで
作品を発表し、数々の賞を受賞します。
日本美術と洋画の伝統を織り交ぜた独自の技法で描かれる
妖しく美しい幻想的な画風が特徴です。
長女をモデルにした童女シリーズが有名ですが、
最近では蝶や花をテーマにした作品を多く描いています。
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舟越桂(1951年〜)
岩手県出身の彫刻家です。
東京芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了後、
ベニス・ビエンナーレ、サンパウロ・ビエンナーレなどに
作品を出品します。
クスノキを使った木彫で知られ、詩的で気高さに満ちた人物像は
独特の存在感があり、見るものを魅了します。
版画も数多く手がけており、木彫と同じく人物を
テーマにしたものが多いのも特徴的です。
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宮廻正明(1951年〜)
島根県出身の日本画家です。
東京芸術大学大学院美術研究科文化財保存学専攻修了後、
展覧会などで作品を発表し、院展・奨励賞、前田青邨賞など、
数々の賞を受賞します。
古典絵画の技法を生かした独自の画法が特徴で
その繊細で爽やかな画風は多くの人々を魅了しています。
また、現在日本美術院同人、東京藝術大学教授でもあり、
幅広く活躍しています。
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手塚雄二(1953年〜)
神奈川県出身の日本画家です。
東京芸術大学大学院美術研究科日本画修了後、
展覧会などで作品を発表し、院展・内閣総理大臣賞受賞、
前田青邨賞など数々の賞を受賞します。
伝統的でありながら大胆な構図で描かれる作品の数々は
美しく神秘的で、現代日本画の中でも異彩を放っています。
また、現在日本美術院同人、東京藝術大学教授でもあり、
幅広く活躍しています。
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大竹伸朗(1955年〜)
東京都出身の洋画家・音楽家です。
武蔵野美術大学入学後、イギリスへ渡り、
デビッド・ホックニーやラッセル・ミルズに影響を受けます。
卒業後は個展で作品を発表し、
色彩豊かなポップな作風で一躍注目を集めます。
コラージュ、写真、パフォーマンスなど表現方法は多岐に渡り、
ゴミを集めて作るオブジェは海外で高く評価されています。
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佐々木悟郎(1956年〜)
岐阜県出身の画家です。
愛知県立芸術大学卒業後、カリフォルニアの
アートセンター・カレッジ・オブ・デザインで学びます。
NAAC展特選、信濃毎日新聞広告賞、講談社出版文化賞など
数々の賞を受賞するほか、本の装丁や挿絵、CDジャケット、
ポスターなど数多くの作品を手がけています。
独特の色彩と混色で描かれる美しい水彩画が有名です。
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原雅幸(1956年〜)
大阪府出身の洋画家です。
多摩美術大学卒業後、個展で次々に作品を発表し、
初個展では作品がほぼ完売するなど高い評価を得ます。
油絵で描かれる風景を中心とした写実絵画が有名で、
その緻密な描写力は見るものを圧倒します。
現在はスコットランドで創作活動をしています。
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千住博(1958年〜)
東京都出身の日本画家です。
東京芸術大学大学院博士課程修了後、
展覧会で次々に作品を発表し、絵画部門優秀賞受賞、
ヴェネツィア・ビエンナーレ優秀賞など数々の賞を受賞します。
彼の描くダイナミックで幻想的な自然の姿は美しく、
なかでも滝を描いた「ウォーターフォール」シリーズが有名で
世界的にも高い評価を得ています。
また、世界に日本画の存在を認知させるなど、国際的視野で
幅広い活動を行っています。
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奈良美智(1959年〜)
青森県出身の画家・彫刻家です。
愛知県立芸術大学大学院修了後、
ドイツ国立デュッセルドルフ芸術アカデミーで学びます。
その後、ケルンで作品を制作、発表するようになると、
一躍ポップアート作家として世界的に注目されるようになります。
つり目で無表情の女の子を描いたシリーズや、
アクリル絵具による絵画が有名です。
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村上隆(1962年〜)
東京都出身の画家・ポップアーティストです。
東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了後、
展覧会を中心に数々の作品を発表し、FEC賞特別賞、
AMDアワード功労賞、文化芸術賞など数々の賞を受賞します。
2007年には大規模な回顧展をロサンゼルスよりスタートし、
世界中の注目を集めました。
アニメ、フィギュアなどをモチーフにした、
サブカルチャー的な題材を用いた作品が多いのも特徴です。
また、日本のアートブームメントをスーパーフラットという
表現様式で見出し、提唱しました。
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青森県出身の日本画家です。
東京藝術大学卒業後、同大学日本画専攻博士号を取得します。
女性、幽霊、内臓など人間の痛みをテーマに
日本画技法を用いて描かれる美しく神秘的な作品は
若い女性を中心に人気を集めています。
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亀井徹(1976年〜)
東京都出身の洋画家です。
日本大学芸術学部美術学科を卒業後、
個展などで作品を発表します。
ヴァニタス画を独自に解釈して描かれた作品が有名で
美しい油彩画で描かれる妖しくも幻想的な情景は
独特の世界観があり、見るものを魅了します。
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「アール・ブリュット」には、フランス語で「加工されていない、生の芸術」
という意味があります。
1945年、精神病患者の創作作品を調査していたフランスの芸術家、ジャン・
デュビュッフェにより命名された言葉です。
「アウトサイダー・アート」は、1972年にイギリスの著述家ロジャー・カーディ
ナルによって「アール・ブリュット」の英語表現として創案されました。
ジャン・デュビュッフェによるアール・ブリュット作品収集初期には、精神病院
や監獄などから蒐集していたので、アール・ブリュット(アウトサイダー・アート)
=知的障害者、精神障害者、精神病患者が描いた作品とされていましたが、
後に精神病患者などに限らず、美術教育を受けず独学で孤独に作品を作り
続けた人、社会から見放された孤独な人、子供など芸術による生計や発表す
ることのない人々が、流行や伝統に捕らわれず、美術制度の枠外で自身の
衝動によって制作されるものを指すようになりました。
また絵画以外に、彫刻・映像・文学・音楽や、建築・インスタレーションなどの
空間作品も制作されています。
1945年からジャン・デュビュッフェによって蒐集を開始した、スイス・ローザン
ヌのアール・ブリュット・コレクションは世界最大のアウトサイダー・アートの所
蔵品を誇り、フランス、ドイツ、アメリカ、日本の美術館でもコレクションされて
います。
日本のアウトサイダー・アートは、芸術家による知的障害者更生施設や盲学
校など、福祉施設への現場に出向いての指導による、社会とのつながりを持
つための手段としての障害者芸術、エイブル・アートが発展し、トヨタなどの
企業が支援をしています。
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アール・ブリュットの関連書籍、作品集・画集は買取重点商品です。
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ヘンリー・ダーガー
Henry Darger(1892年4月12日-1973年4月13日)
1892年、シカゴで生まれます。
12歳の頃、感情障害により知的障害児更正施設へ入所、15歳のときに
父が死去。
19歳のときから80歳にいたるまで、誰に知られることもなく孤独に独力
で「非現実の王国で」を制作します。
1972年、病気のために救貧院入院数ヶ月後の1973年に死去しました。
救貧院入院直後、ダーガーが住んでいたアパートの家主であり、芸術家
でもあるネイサン・ラーナーにより300枚の挿絵と15000ページ以上のテ
キストの物語が発見されています。
「非現実の王国で」は、子供奴隷に残虐な拷問を加える邪悪な大人たち
と、血みどろの闘いを続ける7人の少女戦士、ヴィヴィアン・ガールズの姿
を描いています。
ポップアート的な洗練された画風、残虐な拷問や殺戮の風景、少女にペ
ニスを描き加えるなどの挿絵作品を、長い孤独な生活の中で制作。
アウトサイダー・アートを代表するアーティストのひとりとして世界的に高
い人気を得ています。
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アドルフ・ヴェルフリ
Adolf Wölfli(1864-1930)
1864年、スイス、エメンタール州、ボーヴィルに生まれます。
幼少より虐待され、10歳の時に里親へ出されます。
その後、農場労働者として働き、軍に入隊しますが、児童虐待の罪で有罪
判決を受けます。
1895年より1930年の死亡年までスイス・ベルンのワルドー精神病院にて過
ごしました。
入院後、25000ページにおよぶ、膨大なイラスト入り物語を制作し、テキス
トやドローイング、コラージュが混じり合った空想世界を創造しています。
アール・ブリュットの創始者ジャン・デュビュッフェ、シュルレアリスム
の創始者アンドレ・ブルトンの2人が、ともに高い評価を発しています。
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マッジ・ギル
Madge Gill(1882年-1961年)
1882年ロンドンに生まれます。
私生児として生まれ、身内から拒絶され9歳の時に孤児院に収容されます。
後にカナダに移って農場労働者となるもそこで虐待を受け、25歳に結婚し3
人の子供をもうけますが、1人が死亡。婦人科の疾病により死産、それが
原因で片目が失明します。
病気から快復後、以来40年にわたり驚くべき点数のドローイングを描き続
けました。
自らは、「マイニナレスト」という霊によって導かれ描いたと言い、多くの
ドローイングに「マイニナレスト」のサインが施されています。
1961年死去。その後数百点の作品が発見されましたが、今後展示される
予定はないようです。
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フリードリヒ・シュレーダー・ゾンネンシュターン
Friedrich Schröder-Sonnenstern(1892年-1982年)
1890年、東プロイセンで生まれます。
幼いころから行動が奇抜で素行が悪く、母は狂死、第一次大戦時に軍隊に
入隊しますが、自ら精神錯乱者と軍医に訴え、精神病院に入院します。
その後退院し、ベルリンにて占星術師になりますが、薬剤法違反などで禁
固刑を受け、精神病院へ強制入院となりました。
その精神病院に入院していた画家の勧めで絵を描くことを始めます。
幻想的でエロティックな、色鉛筆で入念に塗り込められた作品は、アンドレ
・ブルトンや瀧口修造から高い評価を得ており、シュルレアリスムのアーテ
ィストに含まれることがあります。
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アレクサンドル・ロバノフ
Aleksander Lobanov(1924年8月30日-2003年4月21日)
1924年、ソ連のボルガ川沿いの小さな町で生まれます。
6歳のときより耳と口が不自由になり、その後聴覚・言語障害の子どもたち
のための特別寄宿学校へ入学します。
1947年、精神病院に入院。1960年代から絵画を制作。1970年代から写真
に絵を描き込む独自の表現方法で制作を始めます。
長らく注目されることがありませんでしたが、1990年代後半に注目を浴び、
ヨーロッパ各地で展覧会が開かれるようになります。
銃に関する強い愛着が感じられる作品などがあります。
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アロイーズ・コルバス
Aloise Corbaz(1886年6月28日-1964年4月6日)
1886年、スイスのローザンヌに生まれます。
11歳の時に過労が原因で母が死去し、長姉マルグリットが母代わりとなり
ますが、その過干渉のため、その後の人生に大きな影響を受けることとな
ります。
1910年代前半、ポツダムのヴィルヘルム2世の宮廷で働き、その後統合失
調症となり、精神病院に入院し、1964年の死まで過ごすこととなります。
1947年、ジャン・デュビュッフェに見出され、アール・ブリュットの作家
として注目を集めることとなりました。
エロスな象徴と愛の物語に満ち、自らの精神世界を追い求めた、色彩の
美しい絵画を制作しています。
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ハインリヒ・アントン・ミューラー
Heinrich Anton Müller(1869-1930)
19世紀後半、スイス・レマン湖畔のブドウ園で下働きをし、ブドウ品種改良
用の機械を発明、特許を得るも、それが元となるトラブルにより精神を病み、
37歳の時に精神病院に入院します。
病院では自己の引きこもりに終始し、1917年頃から絵画の制作を始めます。
デフォルメされた人物像や、動物や樹木のある作品を数多く制作しました。
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カルロ・ツィネリ
Carlo Zinelli(1916年-1974年)
1916年、イタリアのヴェローナで生まれます。
2歳の時に母と死に別れます。
第二次世界大戦に従軍、前線の過酷な日々により1947年統合失調症で精
神病院に入院しました。
田舎暮らしから戦争や狂気の悲しい体験を、無数の人物像やアルファベット
文字、幾何学的形態、記号を用いた独創的で一貫性のある絵画を制作して
います。1971年には精神病院を退院しており、1974年に死去しています。
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ビル・トレイラー
Bill Traylor(1854年-1949年)
アメリカ、アラバマ州の農場にて黒人奴隷として生まれます。
1865年、奴隷解放宣言により自由の身となりますが、農園に留まります。
1938年、農園を離れ、身体が不自由になりホームレス暮らしとなり、黒人
コミュニティーの繁華街で絵を描き始めました。85歳を過ぎて、人生最後
の3年間に1500枚もの絵を残します。
幾何学的、抽象的な構図の中に複数のイメージがリズミカルに配置された、
簡潔な線と限られた色使いが特徴です。
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ジーン・メリット
Gene Merritt(1936年-)
1936年、アメリカ・サウスカロライナ州で生まれます。
幼い頃、発熱が原因で脳に障害を発し、暴力的な父親のもと生活します。
1948年に母を亡くし、1972年父を亡くすと、社会福祉局のもと養護施設
などで生活。
ドローイング作品は、特定の人物の横顔が丁寧に線描され、キュビスム
のような遠近法が使われています。
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モートン・バートレット
Morton Bartlett(1909年-1992年)
1903年、シカゴに生まれます。
8歳の時に両親と死別。独身のまま83歳で死去します。
彼の死後、15体の人形と約200枚の写真が生前居住していた部屋から
発見されます。15体の人形は12体が少女で、3体が少年でした。
現実の女性との接触を持たなかった彼は隠遁を決め込み、妻子を持たず、
自分だけの安全地帯を作り出し、孤独の中で、創作者、父親、母親、友人、
伴侶をこれらの作品に求めました。
自らの手で服を繕い、人形に着せ撮影。実在の少年少女のスナップショッ
トに仕上げています。
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山下清
(1922年3月10日-1971年7月12日)
広義の日本のアウトサイダー・アーティストに含まれます。
1922年、東京都に生まれます。
幼少の頃、重い消化不良が原因で、後遺症で軽い言語障害、知的障害
が残ります。
その後、知的障害児施設「八幡学園」へ預けられ、ここでの生活で
「ちぎり紙細工」に出会いました。
制作に没頭する中で才能が磨かれ、1939年の展覧会で多くの人々から
評価を得ます。18歳の時に兵役検査を受けたくなかったため放浪の旅に。
旅先で記憶した風景を、八幡学園や実家に帰ってから記憶を基に描く、
驚異的な映像記憶力の持ち主で、サヴァン症候群であった可能性が高
いといわれています。
戦後は全国巡回展により高い評価を得て、ヨーロッパを巡り多数の作
品を残しています。
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ヨハン・ハウザー
Johann Hauser(1926年-)
1926年、現在スロヴァキアの首都、ブラティスラヴァで生まれます。
第二次世界大戦時は難民キャンプで暮らし、戦後ウィーンのマリー・
グギング精神病院に入院します。
激しい躁鬱病のため、躁と鬱状態で描く画風の違いが顕著であり、
躁状態の時は派手な色彩や彼の好きな物体を描き、鬱状態の時は
記号的な小さな絵を描きました。
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ジョゼフ・ヴィトリッヒ
Josef Wittlich(1903年-1982年)
1903年、ドイツのグラドバッハに生まれます。
幼少時に母を失い、暴力的な父親のもと生活します。
その後父親の再婚により、義理の母親に邪険に扱われました。
第二次世界大戦では兵役に就きますが、負傷しロシア軍の捕虜となり
ます。
戦後、陶器工場で働き、死去する1982年まで、孤独の中で絵画を制作
しました。
ローマ教皇や王族、モデルなど、身の回りの現実でなく、単純で明快な
イメージのフォルムを単純化、独特の色彩で表現しています。
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ウィリアム・ホーキンス
William Hawkins(1895年-1990年)
1895年、アメリカ・ケンタッキー州に生まれます。
幼少時に母を亡くし、祖母の農場で育てられます。
21歳のときに都会での生活をするも、貧困や差別、犯罪に直面。
1930年代頃から独学で、建材用の合板やペンキを用いて、自由の女神や
キングコングなど、ポピュラーなイメージを描きました。
まったくの独学でアートに挑んだその姿は、アメリカが生んだ真のポップ・
アーティストとも言えます。
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ロウル・ピジョン
Laure Pigeon(1882年-1965年)
1882年、フランス、ブルーターニュ地方で生まれます。
29歳のときに歯科医と結婚。夫は仕事も女性関係もだらしがない男でした
のでまもなく別居状態に。
その後、長期滞在者用の宿泊施設で交霊術に出会います。
死去までの約30年間にわたり、交霊術による青インクを用いた線影画を
500点あまりを制作します。
生存中は作品を誰にも見せず、死後に作品が発見されました。
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マルティン・ラミレス
Martin Ramirez(1885年-1960年)
1885年、メキシコ・ハリスコ州の貧しい家に生まれます。
10代後半で仕事を求めてカリフォルニアへ。仕事を得ますが、きつい労働、
文化的ショックにより会話能力を失い、精神病院へ入院しました。
病院では会話能力を回復することはなく、絵を描くことに熱中。
1954年、精神病院で授業を行っていた異常心理学のタルモ・パスト博士に
出会い、博士による病院との交渉で、絵画を描く環境が整います。
作品にはキュビスムやシュルレアリスムを連想させる20世紀的表現が随
所に見られます。
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サヴァ・セクリッチ
Sava Sekulic(1902年-1989年)
1902年、クロアチアの山村でセルビア人家族のもとに生まれます。
10歳のときに父を亡くします。
1916年、第一次世界大戦に従軍、右目を失明。
その後、職を転々とし、流浪の生活を送りながら独学で読み書きを覚え、
1930年頃から詩を書き、絵を描き始めます。
1962年、残りの人生を詩作と絵画制作に捧げる決意をし、1989年の死去
まで制作を続けます。1969年にはベオグラードで個展を開催しています。
人間や動物が溶け合い、明るい色彩の中に、伝説のや神話のキャラクタ
ーが、素朴派を思わせる技法で描かれています。
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エドモン・モンシェル
Edmund Monsiel(1897年-1962年)
1897年、ポーランドで生まれます。
後にルブリン地方の村で雑貨店を経営。周囲の人々から陰気で人付き合
いの悪い、狂信的な男だと思われていました。
1942年、ドイツ軍に店を奪われ、同じ町に住んでいた弟の家の屋根裏で生
活。戦争が終結してもそこから出ることなく、人との接触を拒みました。
1962年、風邪により死亡。死亡後、所持品の中から500点におよぶドロー
イングが発見されました。
その絵は、大小のおびただしい数の顔がびっしりと隙間なく敷きつめられ
たもので、中には3000もの顔が描かれている迷宮的な作品があります。
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アナ・ゼマンコーヴァ
Anna Zemankova(1908年-1986年)
1908年、チェコのオルモウツに生まれます。
1933年に結婚、専業主婦となり3人の子供を育てます。
50歳になろうとしたころ、精神的に不安定となり、彫刻家の息子の勧めで
で絵を描き始めます。
それから約30年にわたり、毎朝夜明け前の半覚醒の恍惚状態の中で絵画
を制作しました。
中央ヨーロッパのデザインに見られる植物装飾文様の影響を受けた曲
線と、柔らかい色調のパステルで彩られた独特なデザインが特徴です。
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ブルックス・ヨーマンス
Brooks Yeomans(1957年-)
1957年、アメリカ・ノースカロライナ州に心霊術師のひとり息子として、
軽度の知的障害を持ち、生まれます。
1991年母親が亡くなり障害者施設に入所、そこで才能を認められ、芸術的
才能に恵まれた成人精神障害者のためのアトリエとギャラリーを併設した
施設「シグネチャー」に受け入れられることになります。
自分自身の人生に起きた様々な出来事を元に、細部までこだわったパノ
ラマ的展望の絵画を制作しています。
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オスヴァルド・チルトナー
Oswald Tschirtner(1920年-)
1920年、ウィーン近郊に生まれます。
第二次世界大戦にてドイツ軍に入隊、終戦間近に南フランスの捕虜収容
所に収容されます。
1947年、一連の試練に耐えきれず精神病院に入院、激情発作をともない
症状は悪化し、現在に至るまで入院生活を続けています。
現在はマリー・グギング精神病院の芸術家の家で暮らしています。
1950年代から絵画の制作を始め、その作風はミニマルであり禁欲的であ
ります。
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ガストン・トゥシェール
Gaston Teuscher(1903年-1986年)
1903年、スイスの農家に生まれます。
幼い頃から独立心の強い性格で、生涯、旅行三昧と多くの女性との束の
間の出会いに彩られた人生を送りました。
1974年、71歳のときから絵を描き始めます。
ワイングラスやコーヒーカップの底の染、アルミ箔や銀紙などをしわくちゃ
にして、そこに偶然できた不確定な形態を構図として利用。またヘビース
モーカーの彼はヤニを回収して絵具として再利用していました。
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ミシェル・ネジャー
Michel Nedjar(1947年-)
1947年、パリ近郊でアルジェリア出身の父と、親族の多くをナチスに殺さ
れた母親のユダヤ人夫婦のもとに生まれます。
1960年頃から強制収容所でのホロコーストを意識するようになります。
1970年からモロッコと欧州を旅し、さらにトルコ、イラン、アフガニスタン、
インド、メキシコを旅し、これらの国の文化から強い影響を受けました。
1975年からボロや切れ端など身の回りにあるもので、呪術的な雰囲気の
謎めいたな人形を作り始めます。
1980年代からは絵を描き始めています。
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アメリカ人のデザイナーで建築家であったジョージ・マチューナスにより、
前衛芸術家を組織したグループです。
「浄化、連続運動、流れる水、変化する、下剤をかける・・・」などの意味を
持ち、1960年代の代表的な芸術運動として世界に波及しました。
フルクサスの基準として、グローバリズム、アートと生活の統一、インターメデ
ィア、実験主義、偶然性、遊戯性、単純、特殊性、音楽性などが挙げられます。
その芸術の特徴としては、多国籍の集団、グループの境界が曖昧、美術・音楽
詩・舞踏など多様なジャンルにまたがる、パフォーマンスに重点が置かれゲー
ム性、ジョーク、ユーモアを好んだ、シンプルかつ客観的、まとまった主義主
張をグループとしては持たないなどがありました。
1961年にジョージ・マチューナスがニューヨークのA/Gギャラリーで行った公演
を機に「フルクサス」の名前が定着します。
1962年から1963年には西ドイツを皮切りに「コンサート」と呼ばれた上演会が
ヨーロッパ各国を巡回し、運動の広がりは国際的となります。
しかし1963年に中心人物であったジョージ・マチューナスが発表した過激なマニ
フェストが他のメンバーに支持されず、1972年の「フルクサス・ショー」以降、
その活動は歴史化されていき、1978年のジョージ・マチューナスの死によって
終焉を迎えることとなりますが、1970年代以降のコンセプチュアル・アートやパ
フォーマンスに極めて大きな影響を与えました。
ヨーゼフ・ボイス、ナム・ジュン・パイク、オノ・ヨーコらが参加し、フルクサス
と関わりを持った音楽家にジョン・ケージ、映像作家にジョナス・メカスらが
います。
日本からの参加者は靉嘔、小杉武久、塩見允枝子、一柳彗、高松次郎、
赤瀬川原平、中西夏之、ワダマサヨシらが参加・同調しています。
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ジョージ・マチューナス
George Maciunas(1931年11月8日-1978年5月9日)
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1931年、リトアニアのカウナスで生まれます。
1948年、アメリカ、ニューヨークに移住。
1952年からニューヨークの大学で美術、グラフィック・アート、建築を学びます。
1961年にニューヨークのA/Gギャラリーで行った公演を機に「フルクサス」の名
前が定着します。
1962年から1963年には西ドイツを皮切りに「コンサート」と呼ばれた上演会を
ヨーロッパ各国にて展開、フルクサス運動の広がりは国際的となります。
1963年、マニフェストを書き上げ、フルクサスを共同体としてまとめようとする
も、その過激な内容に誰もサインする事はありませんでした。
その後フルクサス名簿の作成、新聞の作成、フルクサスメンバーの作品を「フ
ルックス・キット」などでの販売などを展開し、フルクサスをグループに発展さ
せ議長となります。
1978年死去、やがてマチューナスを中心としたフルクサス運動は終演を迎え
ることとなります。
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ナム・ジュン・パイク
Nam June Paik(1932年7月20日-2006年1月29日)
1932年、ソウルで生まれます。
1949年、朝鮮戦争のため一家で香港へ、そのご日本へ。東京大学文学部
美学・美術史学科を卒業後、ミュンヘン大学に学びます。
1961年、ジョージ・マチューナスと知り合い、フルクサスに参加。ヨーゼフ・ボ
イスと交流を深めました。
1963年、ドイツのパルナス画廊で開いた個展で、世界初のビデオ・インスタ
レーションを発表します。
1964年、アメリカに移住し、その後のパフォーマンスを共作することになる
チェリスト、シャーロット・モーマンと出会います。
1965年、ニューヨークでの初の個展を開催し、携帯用ビデオ・カメラを使い
始めました。
1977年、ビデオ・アーティスト久保田成子と結婚し、ハンブルク美術大学で
教鞭をとるためにドイツへ。その後ドイツ、東京、ニューヨーク、パリなどで
個展を多数開催します。
現代的なテクノロジーを活用した画像処理や映像展開の中に東洋的な自
然観や禅の思想を取り込んだ、ビデオアートのパイオニアとして国際的に
活躍しました。
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ヨーゼフ・ボイス
Joseph Beuys(1921年5月12日-1986年1月23日)
1921年、ドイツ北西部の町、クレーフェルトに生まれます。
第二次世界大戦時にはドイツ空軍に入隊し東部戦線で戦い負傷、戦争末期
には西部戦線にて戦闘に参加しますが、イギリス軍の捕虜となります。
1960年代にフルクサスに参加、多くのオブジェを制作しパフォーマンスを演じ
るようになります。
1970年代には、教授を務める芸術アカデミーにおいて、入学できる学生数の
制限に反対し、自分自身で「創造性と学際的研究のための自由国際大学」を
設立するなど思想家、活動家色が強まっていきました。
脂肪やフェルト、野うさぎの死骸を使った作品や、展覧会会場で観客と民主
主義について議論を交わしたり、創造性によって社会を形成するという「社
会彫刻」概念を生み出すなど、インパクトを与える表現と思想をもって芸術の
新たな可能性を広げ、多くの人々に影響を与えたアーティストです。
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オノ・ヨーコ(小野洋子)
Yoko Ono Lennon(1933年2月18日-)
1959年、ニューヨークにて、フルクサスの活動に参加し、コンセプチュアル・
アートを制作します。
1962年日本に帰国し、東京の前衛芸術家として活躍し、パフォーマンスア
ートや、言葉によるコンセプチュアル・アート作品を発表。
1965年、ロンドンに移り活躍し、個展にて知り合ったジョン・レノンと1969年
に結婚します。
ニューヨーク、ロンドン、東京のコンセプチャル・アート、コンサート、実験映画、
パブリック・アート、またジョン・レノンとの共同作業作品やジョン・ケージ、
ナム・ジュン・パイクなどのアーティストとコラボレーションも行っています。
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ジョン・ケージ
John Milton Cage Jr.(1912年9月5日-1992年8月12日)
1912年、ロサンゼルスに生まれます。
1931年、ピアニストのリチャード・ビューリックに音楽を学び、1934年から南カ
リフォルニア大学のアルノルト・シェーンベルクに学びます。
その後、ニューヨークに出て画家たちと交流を持ち、禅を学び東洋思想への
関心を深め、中国の易を用いた作曲過程に偶然性が関わったり、演奏や過
程に偶然性が関与する不確定性の音楽を創造していくようになります。
1950年代後半から、代表作「4分33秒」や、問題作「0分00秒」を発表し、フル
クサスとの交流がありました。
旧来の音楽のあり方を否定する「偶然性の音楽」や「無音の音楽」などを発表
し、現代音楽界に新しい音楽の姿を提唱した前衛音楽作曲家と言われています。
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ジョナス・メカス
Jonas Mekas(1922年12月23日-)
1922年、リトアニアにて生まれます。
1949年、ニューヨーク、ブルックリンへ移住。1950年代、様々な仕事をしながら
当時生活していたウィリアムズバーグやリトアニア系移民を撮り始めます。
1954年「フィルム・カルチャー」誌を発行。
1960年代からアレン・ギンズバーグ、オノ・ヨーコ、ジョン・レノン、サルバドー
ル・ダリらと交流。同じリトアニア人のジョージ・マチューナスとは深い交流が
ありました。
物語映画やドキュメンタリーで高い評価受け、現在も精力的に活動する映像
作家です。フルクサス周辺の映画監督として有名です。
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ジョージ・ブレクト
George Brecht(1926年8月27日-2008年12月5日)
1926年、ニューヨークに生まれます。
初期フルクサスから参加する前衛作曲家、コンセプチュアル・アーティスト
です。
代表的なインストラクション集「ウォーター・ヤム」やフルート・ソロ、ヴァイオ
リン・ソロなどの作品が有名です。
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ラ・モンテ・ヤング
La Monte Young(1935年10月14日-)
1935年、アイダホ州に生まれます。
カリフォルニア大学ロスアンゼルス校、カリフォルニア大学バークレー校にて
音楽を学びます。その後インド古典音楽、インドネシアのガムラン音楽、グレ
ゴリオ聖歌や他のさまざまな異文化
の音楽に影響を受けます。
1960年、フルクサス運動に参加。著名な作品群「コンポジションズ 1960」を発
表します。戦後の前衛音楽の重要な作曲家であり、フルクサスに影響された
作品とミニマル音楽作品を創造しています。
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アラン・カプロー
Allan Kaprow(1927年8月23日-2006年4月5日)
1927年、ニュージャージー州に生まれます。
コロンビア大学で美術史を学び、その後ジョン・ケージのもとで作曲を学び
ました。
1959年にニューヨークの画廊で行った展覧会で、ハプニングという表現方法
のパフォーマンスを行います。
1960年代にかけて、パフォーマンスやゲリラ的作品展示「ハプニング」を仕掛
けて、フルクサスなど後に続くパフォーマンスアートの芸術運動に大きな影響
を与え、環境芸術やインスタレーションの先駆者とも言われています。
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アル・ハンセン
Al Hansen(1927年10月5日-1995年6月22日)
1927年、ニューヨークに生まれます。
初期のフルクサスに参加し、オノ・ヨーコやジョン・ケージと交流を持ち、ナ
ム・ジュン・パイクらと共作をし、ハプニングという表現方法のパフォーマン
スやコラージュ作品を多数創造しています。
現在最も創造的なオルタナティヴ・ミュージック・アーティストのひとり、ベック
・ハンセンは彼の孫であり、アル・ハンセンの死後の1998年にBeckベックと
のコラボレーション・ブックが発行されています。
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靉嘔
(1931年5月19日-)
1931年、茨城県行方市に生まれます。
1954年、東京教育大学芸術科を卒業。
1963年、フルクサスに参加。ジョージ・マチューナスやナム・ジュン・パイク
と親密な関係を
築き国際的に活躍しました。
虹色で構成した版画・絵を制作。オブジェやイベント・アートなどの芸術活
動も創造しています。
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高松次郎
(1936年2月20日-1998年6月25日)
1936年、東京都に生まれます。
1954年、東京藝術大学絵画科にび、小磯良平に師事します。
1963年には中西夏之、赤瀬川原平とともに前衛芸術集団ハイレッド・セン
ターを結成し、様々なイベントや行動を起こしました。
抽象的で反芸術的な色合いの濃い、インスタレーション、絵画、彫刻、壁画
写真、映像作品など様々なスタイルの作品を創造し、1960年代以降のコン
セプチュアル・アートに多大なる影響を与えました
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赤瀬川原平
(1937年3月27日)
1937年、横浜にて生まれます。
1960年、篠原有司男、荒川修作らと共に「ネオ・ダダイズム・オルガナイザ
ー」を結成。
1963年には、高松次郎、中西夏之とともに前衛芸術集団ハイレッド・センター
を結成し、様々なイベントや行動を起こしました。
その後千円札を模写した作品発表して実刑判決を受けたり、新聞紙で梱包
した首を振るだけの扇風機とか、カニ缶を使った「宇宙の缶詰」などの作品や
様々な組織の結成など、ユーモアとナンセンスが詰まった創作活動を展開し
ました。また純文学者としても活躍し、1981年、第84回芥川賞を受賞してい
ます。
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中西夏之
(1935年7月14日-)
1935年、東京都・大井町に生まれます。
1958年、東京藝術大学絵画科を卒業します。
1963年には、高松次郎、赤瀬川原平とともに前衛芸術集団ハイレッド・センタ
ーを結成し、様々なイベントや行動を起こしました。
1960年代に瀧口修造や澁澤龍彦、シュルレアリスム系の画家や詩人たちと
交流を深め、舞台美術・装置なども手掛けます。
1960年代後半からは、現実空間と絵画空間との緊張関係をテーマにした思考
性の抽象絵画や絵画インスタレーションを制作している現代日本美術を代表す
る画家のひvとりです。
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一柳慧
(1933年2月4日-)
1933年、神戸市に生まれます。
1954年から1957年までニューヨークのジュリアード音楽院で学びます。
1956年にはオノ・ヨーコと結婚、1959年ニューヨークにてジョン・ケージの講座
に参加し、大きな影響を受けます。
1961年より日本にてジョン・ケージや自己の前衛音楽作品を紹介し、その後
ミニマル・ミュージックに影響を受けた作品を発表します。
1980年代には尾高賞を4度受賞し、現代日本の代表的な作曲家の一人として
活動を続けており、また日本の伝統音楽の発展にも尽力しています。
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塩見允枝子
(1938年-)
1938年、東京都に生まれます。
東京藝術大学楽理科に学び、音楽理論を柴田南雄に、作曲を長谷川良夫
に師事しました。在学中に刀根康尚、水野修孝、小杉武久らと即興演奏集
団「グループ・音楽」を結成します。
1964年、ニューヨークにてフルクサスの活動に参加し、1970年以降は環境
音楽の作曲など、エレクトロニクスを用いた独自の表現で演奏家,作曲家と
して国内外の注目を集めています。
1990年代からは、世界各地でのコンサート活動を行い、数々のサウンド・イ
ンスタレーションを発表しています。
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小杉武久
(1938年3月14日-)
1938年、東京都に生まれます。
東京藝術大学楽理科に学び、在学中に刀根康尚、水野修孝、塩見允枝子
らと即興演奏集団「グループ・音楽」を結成。その後フルクサスに参加し多
数のイベント作品を発表します。
1969年、土屋幸雄、木村道弘、永井清治、長谷川時夫、林勤嗣らと、タージ・
マハル旅行団を結成し、国内外で演奏活動を行います。
1977年、アメリカに移住し、マース・カニングハム舞踏団の音楽監督をジョン
ケージらとともに勤め、しなやかに使いこなしたテクノロジーによる独自の表
現で、世界中の芸術祭、コンサートなどに数多く参加しています。
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新着の本
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1950年代半ばからロンドンでポップ・アート・ムーヴメントが始まり1961年
に最盛期を迎えます。
1970年代、ポップ・ミュージックやストリート・ファッションの中心であったロ
ンドンですが、アートシーンにおいてはサッチャー政権時の不況下におけ
る美術館などの公的な運営費が打ち切られ、アメリカ・ドイツに比べ停滞
することとなりました。
1980年代以降には経済復興にともなって「ニュー・ブリティッシュ・スカル
プチャー」や,1990年代「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBA)」
などのアーティストらをはじめ、様々なオリジナリティー溢れるアーティスト
たちが活躍しています。
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ディヴィッド・ホックニー
David Hockney(1937年7月9日-)
1937年、イギリスのブラッドフォード・ソルテアに生まれます。
1950年代から1960年代にポップ・アート運動に参加し、ポップアートの
レッテルを嫌うもポップ・アート最盛期の一員として活躍しました。
現在はロサンゼルスを拠点に活動し、油彩、フォト・コラージュ、舞台芸術
も手掛ける
多彩な、20世紀イギリスを代表する現代アーティストです。
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フランシス・ベーコン
Francis Bacon(1909年10月28日-1992年4月28日)
1909年、アイルランドのダブリンに生まれます。
1914年イギリスに移住。1929年、ロンドンにて家具設計、室内装飾などの
仕事を始め、油絵を描くようになります。
1933年、作品が美術誌「アート・ナウ」に掲載され、次第に名声が高まって
行きました。
戦後、抽象美術が最盛期になりますが、具象絵画にこだわり続け、人間の
存在の根本にある不安を描いた奇妙な人間像が特徴です。
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ダミアン・ハースト
Damien Hirst(1965年7月7日-)
1965年、ブリストルで生まれ、イングランド北部の都市リーズで育ち、
そこのアート・カレッジで学びました。
1988年、ロンドン・サーチ・ギャラリーのオーナー、チャールズ・サーチ
に見出され、その後個展にて、死んだ動物や薬品瓶、巨大なガラス
ケースなどを使用した生や死を表現するスタイルの作品を発表しました。
1993年、切断された牛と子牛をホルマリン漬けにした作品をヴェネツ
ィア・ビエンナーレに出展し、この作品で1995年にはターナー賞を受
賞しています。
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アントニー・ゴームリー
Antony Gormley(1950年8月30日-)
1950年、ロンドンに生まれ、英国内の様々なカレッジで学びます。
1980年代には「ニュー・ブリティッシュ・スカルプチャー」の代表的作家
として活躍。1994年にターナー賞を受賞しています。
自身の体をモデルやツール、素材にし、彫刻における人間像に新しい生
命を与えて、人間の内面と外面を表現する彫刻、インスタレーションを創
造しています。
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リチャード・ハミルトン
Richard Hamilton(1922年2月24日-)
1922年、ロンドンにて生まれます。
1956年、ロンドンのホワイトチャペル・アート・ギャラリーにて開催された
「これが明日だ」展に出品したコラージュ作品「いったい何が今日の家庭
をこれほど変え、魅力あるものにしているのか」が後にアメリカへ波及し
たポップ・アートの記念すべき第1号として高い評価を受けました。
ポップアートの先駆者と称され、現在も版画やコラージュ、デザインなど
ジャンルを超えた多様な創作活動を展開しています。
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ギルバート&ジョージ
Gilbert and George
イタリア出身のギルバート・プロッシュ(Gilbert Prousch/1943年-)とジ
ョージ・パサモア(George Passmore/1942年-)のペアによるアート・ユ
ニットです。ロンドンを中心にパフォーマンス・アーティストとして活躍し、
フォト・モンタージュなどの写真や、ビデオ、ドローイングなどを制作。
1986年にターナー賞を受賞しています。
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アンディー・ゴールズワージー
Andy Goldsworthy(1956年7月26日-)
1965年、イングランド北西部チェシャーで生まれます。
1985年からスコットランドにて創作活動を始めます。
石、枝、棘、土、雪、氷柱、植物など、周囲の自然環境の中で見つけた
自然物を素材として使用し、自然環境のなかで、場の特異性を活かし
た、彫刻やランドアートを制作するアーティストです。
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ベン・ニコルソン
Ben Nicholson(1894年4月10日-1982年2月6日)
1894年、バッキンガムシャーに生まれます。
1932年、フランスにて結成された「アプストラクシオン・クレアシオン」に
ピエト・モンドリアンやコンスタンティン・ブランクーシらと参加し、1933年
イギリスで、バーバラ・ヘップワース、ヘンリー・ムーアらと抽象芸術グル
ープ「ユニット・ワン」を結成します。
半具象と抽象の間を彷徨うような、簡潔で透明感あふれる白い彫刻レリ
ーフなどの幾何学的抽象作品を創造し、イギリスの抽象美術を牽引した
作家のひとりです。
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ヘンリー・ムーア
Henry Moore(1898年7月30日-1986年8月31日)
1989年、ヨークシャーのキャッスルフォードで生まれます。
わずか11歳の時に彫刻家になることを決心、その後第一世界大戦で従
軍し、リーズ芸術学校の彫刻の生徒となります。
1921年、ロンドンの王立芸術大学に学び、ヴィクトリア&アルバート美術
館と大英博物館でプリミティブな美術、彫刻に触れます。
1929年、結婚を機に、前衛的な芸術家たちが活動を始めている場所
ハムステッドに移り住み、バーバラ・ヘップワースやベン・ニコルソンなど
と交流し、フランスでピカソやジャン・アルプ、ジャコメッティらとも交流を
深めました。
1948年にはヴェネツィア・ビエンナーレ展で国際彫刻賞を受賞。
戦後は大規模な大規模な公共彫刻、パリのユネスコの建物などの大
規模なモニュメントを多数制作し、イギリス美術を国際的に名を知らし
めた偉大な彫刻家です。
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アンソニー・カロ
Anthony Caro(1924年3月8日-)
1924年ロンドンにて生まれます。
ケンブリッジのクライスツ・カレッジに学んだ後、彫刻の道に進むことを
決意します。
ロンドンのロイヤル・アカデミー・スクールズにて学んだ後、ヘンリー・
ムーアのもとで2年間アシスタントとして従事。
鉄を素材とした、素材の持つ表現の可能性を追求し、新たな表現方法
を確立した、ヘンリー・ムーアの次世代の英国彫刻界の牽引者として活
躍しています。
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アンソニー・グリーン
Anthony Green(1939年9月30日)
1939年、ロンドンに生まれます。
1965年、ロンドン・スレード美術学校に学びます。
1977年、ロイヤル・アカデミー夏期展でExhibit of the Year賞受賞。
変形キャンバスや様々な角度からの構図を組み合わせた、自らの思い出
の場面を題材に物語のような絵画作品を創造するアーティストです。
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ブリジット・ライリー
Bridget Riley(1931年4月24日-)
1931年、ロンドンにて生まれます。
1952年、王立美術学校で学び、初期の頃の作風は半具象半印象派といっ
た絵画作品を制作。
1960年前後から幾何学模様の視覚的効果を取り入れた絵画スタイルを
確立していきます。
1968年、ヴェニス・ビエンナーレで絵画部門国際賞を受賞。
錯視効果を強調した抽象絵画である「オプ・アート」(視覚的美術、オプティ
カル・アートの略)の第一人者として活躍しています。
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ルシアン・フロイド
Lucian Freud(1922年12月8日-)
1922年、ベルリンで生まれ、1933年にイギリスに移住します。
1940年代の作品はシューレアリズムを思わせるような作風で、1950年代
からは厚い塗りの家族や友達、恋人、子供のポートレイトやヌードを中心
に制作しています。
2005年、ケイト・モスのヌード肖像画が約7億7千万で落札されて話題に
なりました。
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トニー・クラッグ
Tony Cragg(1949年4月9日-)
1949年、リヴァプールに生まれます。
1977年、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート修士修了。
1988年、43回ヴェネツィア・ビエンナーレ、イギリス館代表、同年ター
ナー賞受賞。
拾い集めたプラスチックの断片によるインスタレーション、立体作品でよく
知られています。
近年は生命の有機的なフォルムをコンピュータで分析し、立体化した彫刻
を多く発表しています。
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リチャード・ロング
Richard Long(1945年6月2日-)
1945年、イギリスのブリストルに生まれます。
1966年にロンドン芸術大学セント・マーティンズ美術学校に学び、1967
年にヴェネツィア・ビエンナーレのイギリス館代表に選出。
1989年にはターナー賞を受賞。
1960年代から、自然の中を歩いてその痕跡を写真で記録したり、その土
地の石などを円形にインスタレーションするなどのアースワークを制作し
ています。
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リチャード・ディーコン
Richard Deacon(1949年8月15日-)
1949年、ウェールズのバンガーで生まれます。
ロンドンの・ロイヤル・カレッジ・オブ・アートなどで学びます。
1980年以降のイギリス彫刻界、ニュー・スカルプチュアの流れの中で大き
く貢献したアーティストです。
建築資材や合板を使用し、滑らかな曲線形デザインの、小品から建築物
と対峙する大型の物まで多岐にわたります。
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アニッシュ・カプーア
Anish Kapoor(1954年3月12日-)
1954年、インド、ボンベイでユダヤ人の家庭に生まれます。
現在はロンドンに在住し、1990年ヴェネツィア・ビエンナーレで2000
年賞を受賞。1991年にターナー賞を受賞。
英国を代表する現代美術作家のひとりであり、他に類をみない独創的な
作風が特徴です。
日本では2004年にオープンした金沢21世紀美術館の、部屋全体を作品
化したコミッションワークが有名です。
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パトリック・コールフィールド
Patrick Caulfield(1936年1月29日-2005年9月29日)
1936年生まれ。
1960年からロイヤル・カレッジ・オブ・アートに学びます。同級にデイ
ヴィッド・ホックニーやRBキタイがいます。
1964年、ロンドンのホワイトチャペル・ギャラリーの個展にてポップ・アー
ティストとしての名声を得ます。
カラフルな色面と太い縁取りの線によるシンプルな構成の作品が有名
です。英国を代表するポップ・アーティストのひとりです。
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ロナルド・ブルックス・キタイ(R.B.キタイ)
Ronald Brooks Kitaj (1932年10月29日-2007年10月1日)
1932年、アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランドにて生まれます。
1951年から商船の船員となって各国をまわり、その後ウィーン、ドイツ、フ
ランス、オックスフォードで美術を学び、1959年からロンドンのロイヤル・
カレッジ・オブ・アートで学びます。
文学や歴史などから受けたインスピレーションを作品に取り込み、1960年代
からポップ・アートを制作。英国を代表するアーティストです。
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アレン・ジョーンズ
Allen Jones(1937年9月1日-)
1937年、サウザンプトンに生まれます。
1961年から1963年にロイヤル・カレッジ・オブ・アートにて学びます。
1960年代からフェテッィシュやボンデージといったエロティックを表現
としたオブジェやフォト、コラージュ作品などを発表しています。
英国を代表するポップ・アーティストのひとりとされています。。
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ナチスの台頭による退廃芸術弾圧と第二次世界大戦は、多くの芸術家が
命を落としたり、アメリカへ移住するなどし、ドイツの芸術は壊滅的となります。
1955年、カッセルで開かれた現代美術展で退廃芸術と呼ばれた芸術が名誉
を回復。
1960年代からのフルクサスの時代以降、古代の神話からナチス・ドイツのい
まわしい時代まで含めたドイツの歴史や文化、戦前のドイツ表現主義の手法、
資本主義リアリズムを表現する作家が登場しています。
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ドイツの現代美術全般については買取重点商品です。
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ヨーゼフ・ボイス
Joseph Beuys(1921年5月12日-1986年1月23日)
1921年、ドイツ北西部の町、クレーフェルトに生まれます。
第二次世界大戦時にはドイツ空軍に入隊し東部戦線で戦い負傷、戦争末
期には西部戦線にて戦闘に参加しますが、イギリス軍の捕虜となります。
1960年代にフルクサスに参加、多くのオブジェを制作しパフォーマンスを
演じるようになります。
1970年代には、教授を務める芸術アカデミーにおいて、入学できる学生数
の制限に反対し、自分自身で「創造性と学際的研究のための自由国際大
学」を設立するなど思想家、活動家色が強まっていきました。
脂肪やフェルト、野うさぎの死骸を使った作品や、展覧会会場で観客と民
主主義について議論を交わしたり、創造性によって社会を形成するという
「社会彫刻」概念を生み出すなど、インパクトを与える表現と思想をもって
芸術の新たな可能性を広げ、多くの人々に影響を与えたアーティストです。
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ゲルハルト・リヒター
Gerhard Richter(1932年2月9日-)
1932年、旧東ドイツのドレスデンに生まれます。
ベルリンの壁によって東西ドイツの行き来が禁止される寸前の1961年、
西側のデュッセルドルフに移住し、デュッセルドルフ美術アカデミーに入学。
シグマール・ポルケと共に、「資本主義リアリズム」という芸術家グループ
を作ります。
初期の頃から製作されているフォト・ペインティング、モザイクのように多く
の色を並べた「カラー・チャート」、カンバス全体を灰色の絵具で塗りこめた
「グレイ・ペインティング」、様々な色を折りこまれた「アブストラクト・
ペインティング」、幾枚ものガラスを用いて周囲の風景の映り込む作品など、
多様な表現で現代資本主義の現実を描く世界的に評価の高い作家です。
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ゲオルグ・バゼリッツ
Georg Baselitz(1938年1月-)
1938年、旧東ドイツ、ドレスデン近郊の小さな町ドイチュバゼリッツに生
まれます。20歳のときに東ベルリンから西ベルリンに移住。米国の抽象
表現主義をはじめとする西側絵画に触れます。
1969年、人物や動物などのモチーフを「逆さ」にした衝撃的絵画を発表。
「モチーフの転倒」という特異な方法は現在に至るまで、現実のモチーフ
に従属しない自律した絵画を創生した方法、モダニズム絵画の方法とし
て世界中から極めて高い評価を受けています。
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アンゼルム・キーファー
Anselm Kiefer(1945年3月8日-)
1945年、ドイツのバーデン・ヴェルテンベルク州ドナウエッシンゲンに生ま
れます。
後にデュッセルドルフ芸術アカデミーで絵画を学び、ヨーゼフ・ボイスらに
師事しました。
1960年代末から、古代の神話からナチス・ドイツのいまわしい時代まで
含めたドイツの歴史をテーマとした写真や絵画作品を発表します。
1980年代以降は、巨大な画面に実物の藁が塗り込められたり、書物、
鉛、砂、衣服など多くの素材を使った、コンセプチュアルな意味が込めら
れた作品を発表しています。
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レベッカ・ホーン
Rebecca Horn(1944年3月-)
1944年、ドイツ・ヘッセ州に生まれます。
ハンブルグのアーツ・アカデミーで学んだ後、1972年にカッセルで開催され
た現代美術展「ドクメンタ5」に参加。
パフォーマンス、インスタレーション、映像、ドローイングなど、様々なメディ
アを駆使した作品を発表し、その自由な創造を通して、現代における芸術
の可能性を問いかけています。
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A.R.ペンク
A.R.Penck(1939年10月-)
1939年、旧東ドイツのドレスデンに生まれます。
東ドイツでの芸術活動は常に秘密警察の監視下にあり、その後の作風に
影響を与えたと言われます。1980年に西ドイツに移住します。
古代の表象文字や、地上絵のようなプリミティブなモチーフを多用し、ドイツ
絵画の新表現主義の発展に大きく貢献した画家・版画家のひとりです。
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ジグマー・ポルケ
Sigmar Polke(1941年2月13日-2010年6月10日)
1941年、現ポーランドのシレジア地方に生まれます。
1953年に西ドイツに移住した後、デュッセルドルフを拠点に芸術活動を始
めます。
1960年代にゲルハルト・リヒターらとともに「資本主義リアリズム」を掲げた
美術運動を展開してドイツ現代絵画の先鋒として世界的に高い評価を得
ています。写真やポップアートを絵画に取り入れながら、自身のトレードマ
ークのドットによる絵画、キャンバスの代わりにプリントの布地や透明なベ
ースに描いた絵画など、様々な実験的な手法を開拓しているアーティスト
です。
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ホルスト・ヤンセン
Horst Janssen(1929年11月14日-1995年8月31日)
1929年、ハンブルクにて生まれます。
1946年よりハンブルグ美術学校に学びます。
1950年代から版画作品を本格的に制作します。パウル・ヴンダーリヒから
銅版画を学びました。
1968年にヴェネチア・ビエンナーレの版画大賞を受賞して国際的に認めら
れます。
北斎を愛し、版画という共通点を持つということに以外に、北斎の人生に深
く共感しています。またその素描は「デューラーの再来」とも言われ、天才線
描家として名高いです。
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パウル・ヴンダーリッヒ
Paul Wunderlich(1927年3月10日-2010年6月6日)
1927年、ドイツ東部エーバースワルデで生まれます。
1947年よりハンブルグ美術学校に学びます。
エロス(愛)とタナトス(死)の世界を創造し、写真や歴史上の名画をメタモ
ルフォーゼ(変容)した幻想的なリトグラフ作品が高い評価を得ています。
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第二次世界大戦後、20年におよぶファシズム支配から開放され、復興
の中で新たな模索を始めます。
1947年、ルーチョ・フォンタナが「空間主義」を発表、1960年代には土や
水など自然のエレメントや鉄、ガラス等の工業素材といった「もの」を用
いた「アルテ・ポーヴェラ」や具象彫刻、抽象彫刻が豊かに実りました。
1970年代からは幻想的な絵画や、1980年代には色彩や形態などの点
で、自由で具象的な傾向を前向きに表現するトランス・アヴァンギャル
ディアと呼ばれる新表現主義が台頭しました。
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イタリア現代美術全般については買取重点商品です。
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アルベルト・ジャコメッティ
Alberto Giacometti(1901年10月10日-1966年1月11日)
1901年生まれ、スイス出身の彫刻家です。
1922年パリに転居し、その後アンドレ・ブルトンらシュルレアリストの文人
と交流します。
1935年にそれまでの出身のシュルレアリスム的作風を放棄して伝統的
方法で彫刻作品を制作。1950年代に「彫刻」としての限界と思えるほどに
細長い、肉付けも凹凸も無い作品を制作。
晩年には絵画、版画など平面芸術への回帰も見られました
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ルーチョ・フォンタナ
Lucio Fontana(1899年2月19日-1968年9月7日)
1899年、アルゼンチンに生まれます。
6歳のとき、父とともにイタリアに移住し、1914年にミラノに移住し、25歳の
時にアトリエを持ち抽象や非具象的な彫刻の制作を始めます。
1947年、従来の絵画や彫刻の枠を超え、時間と空間の統合された、キャン
バスに穴をあけたり、切り込みを入れた作品による「空間主義宣言」を発表
し、戦後の現代美術に多大な影響を与えました。
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ジョルジュ・デ・キリコ
Giorgio de Chirico(1888年7月10日-1978年11月20日)
1888年生まれ。イタリア出身のシュルレアリスムに大きな影響を与えた
画家です。
形而上絵画と呼ばれる透視画法を使用した作品を描き、パリの前衛芸
術運動の中で注目を浴びるようになります。
マネキン人形のような像、非日常の光景など「謎」を示すイメージなど、
シュルレアリスムの作家に多大な影響をもたらします。後年は古典主義
に回帰しました。
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エンツォ・クッキ
Enzo Cucchi(1949年11月-)
1950年、アドリア海に面したアンコナに生まれます。
1980年代、トランス・アヴァンギャルディアと呼ばれる新表現主義を代
表する一人です。
人体などをデフォルメして、原色や黒を多用した、色彩の強いコントラス
トによって描かれる絵画や、巨大な流木に彩色したドラマチックな詩的
形式を現実化した作品を創造。
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サンドロ・キア
Sandro Chia(1946年4月20日-)
1946年、フィレンツェに生まれ、フィレンツェ美術大学に学びます。
1980年代、トランス・アヴァンギャルディアと呼ばれる新表現主義を代
表する一人です。
ルネッサンス以降のイタリア絵画の伝統を始め、近代絵画の様々な手
法をとらえ直しながら、独自の具象的な世界を創り出しています。
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ジャコモ・マンズー
Giacomo Manzu(1908年10月22日-1991年1月18日)
1908年、ベルガモに生まれます。
1937年、ミラノ・トリエンナーレで金賞を受賞。1940年から1950年まで
ミラノのプレラ美術学校で彫刻科教授を務めました。
戦後イタリアの具象彫刻を代表する彫刻家です。
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ファウスト・メロッティ
Fausto Melotti(1901年6月-1986年6月)
1986年、トレンティーノ=アルト・アディジェ州にて生まれます。
ミラノ工科大学で機械工学を勉強した後、美術アカデミーに入学。生涯
の親友となるフォンターナと出会います。卒業にリチャード・ジノリ社の
陶器デザイナーとして活躍するとともに、近代建築と具象彫刻を結びつ
ける新しい彫刻を制作します。
1930年代には複数の旋律を調和させる音楽の作曲技法「対位法」をモ
デルとした彫刻を発表し、1940年代からはイタリアを代表する建築家、
ジオ・ポンティなどとともに世界各地で建築家とさまざまな協同作業を
行います。
現代イタリア抽象彫刻の巨匠として後年の作家たちに大きな影響を
与えました。
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マリノ・マリーニ
Marino Marini(1901年2月27日-1980年8月6日)
1901年、トスカーナ州ピストイアに生まれます。
フィレンツェ美術アカデミーで彫刻と絵を学び、18歳の時にパリへ。
ジョルジョ・デ・キリコらと交友を持ち、ミラノのブレーラ美術学校1970年
まで教鞭をとりました。
20世紀を代表するイタリア表現主義の彫刻家です。
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フランチェスコ・クレメンテ
Francesco Clemente(1952年3月-)
1952年、ナポリにて生まれます。
ローマ大学に学び、アルテ・ポーヴェラの作家などに影響を受けます。
1980年代、トランス・アヴァンギャルディアと呼ばれる新表現主義を代表
する一人です。
キリスト教の神や原始の異教的な神話や神々に興味を持った独自の世
界観を表現する作家として世界で高い評価受けています。
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チェッコ・ボナノッテ
Cecco Bonanotte(1942年-)
1942年、マルケ州に生まれます。
1959年、ローマ美術学校の彫刻科に入学し、ブランクーシやジョルジオ・
デ・キリコから影響を受けます。
「時間」「空間」というテーマが内在し、人間像を中核に温かみのある木
やブロンズ鋳造にこだわる現代具象彫刻の奇才です。
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レオナルド・クレモニーニ
Leonardo Cremonini(1925年11月-2010年4月)
1925年、ボローニャで生まれます。
1945年、ミラノのブレラ美術学校で学びます。
1951年にはパリへ美術留学し、その後パリで活躍しています。
人の欲望、深層心理表現し、抽象性と具象性を両立した独自の作品は
世界で高い評価を受けています。
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ヴァレリオ・アダミ
Valerio Adami(1935年3月-)
1935年、ボローニャに生まれます。
ミラノのブレラ美術学校に学び、初期には表現派的傾向の油画を描い
ていましたが、ポップ・アートの影響を受け風刺・諧謔的な作品を描く
ようになりました。
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アリギエロ・ボエッティ
Alighiero e Boetti(1940年12月-1994年2月)
1940年、トリノに生まれます。
アルテ・ポーヴェラに参加し、後にコンセプチュアル・アートのアーティス
トとして活躍します。
刺繍による世界地図による政治的、社会的、宗教的、歴史的な対立を
表現する作品が有名です。
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アルベルト・ブッリ
Alberto Burri(1915年-1995年)
1915年、ウンブリア州で生まれます。
第二次世界大戦に従軍し、チュニジアで英軍の捕虜となり、その後、
米軍にひきわたされテキサス州の
収容所に収容。ここで最初のアート活動を開始します。
1940年代後半よりぼろ布を使った作品を制作、その後赤や黒に染め
られた地塗りされない麻布による「ずた袋」と呼ばれる作品を発表します。
1960年代のアルテ・ポーヴェラの先駆者として多大な影響を与えた
アーティストです。
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1940年代前半、第二次世界大戦の戦火を避けて、ヨーロッパからシュルレ
アリスム、抽象絵画、バウハウス関係者など、美術家、音楽家、建築家、
デザイナーらあらゆる種類の前衛芸術家がニューヨークに亡命します。
また、第二次大戦に大勝したアメリカは産業、政治面で世界をリードする地位
に立ち、その強大な国力はすぐに芸術面においても反映され、ヨーロッパの
前衛を担う人々がアメリカに移ってきたことにより、ニューヨークが芸術世界の
中心地になり、やがて行き詰まった近代絵画はモダニズムの影響も受け、
アメリカの若い画家たちにより、さらに先鋭的な絵画へと発展し、ここに抽象
表現主義とよばれる絵画運動が興ります。
1950年代後半から、既製品の使用(レディメイド)や大衆的な図像の流用、
また伝統的な芸術や美学の概念を否定する反芸術的なところを持ち合わせる
ネオダダや、抽象表現主義を批判的に継承しつつ、装飾的・説明的な部分を
できるだけ削ぎ落とし、シンプルな形と色を使用して表現する彫刻や絵画運動
のミニマル・アートが出現します。
そして大量生産・大量消費社会によって1950年代のイギリスから誕生し、
1960年代にアメリカで最盛期を迎える、大衆文化の影響の下に誕生した
ポップ・アート、そして1960年代から1970年代にかけて世界的に行われた
前衛芸術運動で、ミニマル・アートのつぎのアートとして出現したコンセプ
チュアル・アートが興りました。
しかしそれまでのコンセプチュアル・アートやミニマル・アートの難解さから、
技法的には抽象表現主義の影響があるニュー・ペインティングとも呼ばれる
新表現主義が台頭します。
1980年代以降はインスタレーション、ランド・アート、パフォーマンスアートや、
コンピュータをはじめとする様々な技術の革新によっ可能となったビデオ・
アート、メディアアートが国際的に発展し、アメリカにおいてもニューヨークを
中心に世界を牽引するアートシーンのひとつとなっています。
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アメリカの現代美術全般については買取重点商品です。
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サイ・トゥオンブリー
Cy Twombly(1928年4月25日-)
1928年、アメリカ、ヴァージニア州レキシントンに生まれます。
22歳でニューヨークの美術学校アート・スチューデンツ・リーグに学び、
ロバート・ラウシェンバーグと知り合い、後にロバート・マザウェルに師
事します。
1953年には、暗号制作者としてアメリカ陸軍に従軍。この経験は彼の
その後の創作活動に影響を与えました。
サイ・トゥオンブリーの絵画は常に「子供の落書き」のような、と形容
される反面、フォルムや言葉や数字を画面の中で浮遊、飛翔させ、光
のフィールドとしてとらえられたカンヴァスは鉛筆やチョークによる線描
と油彩の技法が駆使されています。
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ロバート・ラウシェンバーグ
Robert Rauschenberg(1925年10月22日-2008年5月12日)
1925年、アメリカ・テキサス州ポート・アーサーに生まれます。
ニューヨーク、アート・ステューデンツ・リーグで学び、抽象表現主義的
な画面に日用品を貼付ける「コンバイン・ペインティング」を試み、シル
クスクリーン、コラージュを用いた作品で知られ、ネオダダの代表的な
作家として活躍、その後ポップ・アートの隆盛にも重要な役割を果たしました。
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ジャスパー・ジョーンズ
Jasper Johns(1930年5月15日-)
1930年、アメリカ、ジョージア州オーガスタに生まれます。
友人であるロバート・ラウシェンバーグとともにアメリカにおけるネオダダ
やポップ・アートの先駆者として活躍しました。
抽象表現主義の芸術至上主義的な表現に反発して、旗、標的、数字、
文字などのありきたりの誰もが見慣れた記号やシンボルを題材にした
二次元的な絵画や版画などの平面作品を制作しました。
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クレス・オルデンバーグ
Claes Oldenburg(1929年1月28日-)
スエーデンで生まれ、幼少をアメリカで過ごし1953年に帰化します。
その後、ジム・ダインやアラン・カプローと一緒にハプニング(パフォーマ
ンスアート)を行い美術関係者に注目され、巨大な彫刻群や巨大なパブ
リックアートを残します。
1976年以降、妻のオランダ現代美術家、コーシャ・ヴァン・ブリュッゲンと
共同で大型彫刻を制作しています。
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ロバート・マザウェル
Robert Motherwell (1915年1月-1991年7月)
1915年、アメリカ、ワシントン州アバデンに生まれます。
早くからヨーロッパの文学や絵画に親しみ、オートマティズムやコラージュ
の手法を用い、抽象表現主義やカラーフィールド・ペインティングと呼ばれ
る抽象絵画の動向の中で活躍しました。
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ドナルド・ジャッド
Donald Clarence Judd(1928年6月3日-1994年2月12日)
1928年、ミズーリ州で生まれ、ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグ
やコロンビア大学で哲学や美術史を学びます。
抽象表現主義の情念の混沌とした世界の表現に反対し、その対極のミニ
マル・アートを代表するひとりです。
絵画表現を非理性の表現として否定し、芸術表現から、見る人の情感を
刺激する意味や内容を次々に排除していき、表現が辛うじて成り立つ極小
にまで絞り込んだ表現方法が特徴です。
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ソル・ルウィット
Sol LeWitt(1928年9月9日-2007年4月8日)
1928年にコネチカット州ハートフォードで生まれます。
1960年にニューヨーク近代美術館MoMAの下級職員となり、ジャスパー・
ジョーンズ、ロバート・ラウシェンバーグ、フランク・ステラの作品に触れます。
ミニマル・アートやコンセプチュアル・アートなどの芸術活動で知られ、コンセ
プチュアルアートという言葉を最初に公で使用したアーティストです。
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リチャード・セラ
Richard Serra(1939年11月-)
1939年、サンフランシスコに生まれます。
ミニマリズムを代表する彫刻家として活躍。一枚の巨大な金属板を加工し、
組み合わせて、大変スケールの大きな作品を制作することで知られています。
「壁」と言った方が近い巨大なオブジェによるスペースが作品となっています。
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ブルース・ナウマン
Bruce Nauman(1941年12月6日-)
1941年、アメリカ・インディアナ州にて生まれます。
1960年代に大学で美術を学び、立体作品を手がけ、実験的な映画を撮影
するようになります。
1970年代にニューメキシコ州に移住し、ネオン管や鉄、グラスファイバーを
使った立体、ボディ・アート、パフォーマンス、フィルム、ビデオなど様々な
方法と作品で美術界に衝撃を与え続けているアーティストです。
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アンディ・ウォーホル
Andy Warhol(1928年8月6日-1987年2月22日)
世界で最も有名なポップ・アートの旗手、アンディ・ウォーホルは1928年、
アメリカ・ペンシルベニア州ピッツバーグで生まれます。
1950年代の初期はイラストレーターとして「ヴォーグ」や「ハーパース・
バザー」などの広告イラストで好評を得ます。
1961年、キャンベル・スープの缶やドル紙幣をモチーフにした作品を発表
し、翌年シルクスクリーンプリントによる量産が開始、ポップ・アートが本格
的に始動します。
1964年からはニューヨークのファクトリーでアート・ワーカーを雇い、シルク
スクリーンプリント、靴、映画などの作品を制作し、ミュージシャンや作家、
モデルなどど交流を深めます。
死去する1987年まで、アメリカの資本主義や大衆文化のもつ大量消費、
非人間性、陳腐さ、空虚さが表現された作品を次々と発表しました。
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ロイ・リキテンスタイン
Roy Lichtenstein(1923年10月27日-1997年9月29日)
アンディ・ウォーホールらとともにポップ・アートの代表的なアーティスト、ロイ・
リキテンスタインは1923年、ニューヨークに生まれます。
1960年代初頭、広告や漫画からイメージを直接引用した絵画作品によって
大きな注目を浴び、ポップ・アートの旗手として注目されます。
印刷の網点やストライプのパターン、太く明快な輪郭線、そして平坦に塗られ
た原色など、漫画のコマを拡大したような独創性溢れる作品が特徴です。
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トム・ウェッセルマン
Tom Wesselmann(1931年2月-2004年12月)
1931年、アメリカ・オハイオ州シンシナティにて生まれます。
1950年代からコラージュの技法を用いた作品を制作、1960年代から
「グレート・アメリカン・ヌード」シリーズによりポップ・アート・アーティストとしての
高い評価を受けます。
その後、コラージュによる立体作品や、レーザー光線で切断した鉄板を組み
合わせた「スティール・ドローイング」などを制作しました。
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ジェームス・ローゼンクイスト
James Rosenquist(1933年11月29日-)
ポップ・アートの画家、ジェームス・ローゼンクイストは1933年、アメリカ・ノース
ダコタ州で生まれます。
1950年代後半から看板画家として生計をたてています。この時の経験がポップ・
アート・アーティストとしての下地を作りました。
1960年代より、日常をテーマに断片的なイメージを組み合わせた作品や巨大な
版画・スケッチ・コラージュも数多く制作しています。
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ジョージ・シーガル
George Segal(1924年11月26日-2000年6月9日)
1924年、ニューヨーク・ブロンクスで生まれます。
ニューヨーク大学に学び象表現主義の作家たちと交わり、1950年代から表現主
義的な絵画のほか石膏彫刻を試みます。
1961年、医療用特殊包帯による、外側の型取手法「アウトサイド・キャスティング」
を開発。
それまでタブーとされていたモデルの外形を直接写し取る、人体から直接型取り
した石膏の人物像を数々発表しました。
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エドワード・ルシェ(エド・ルシェ)
Edward Ruscha(1937年12月16日-)
1937年、アメリカ・ネブラスカ州に生まれます。
1950年代後半、ロサンゼルスのシュイナード美術大学で学びます。この時期に
ジャスパー・ジョーンズの絵画から影響を受けました。
1960年代より、西海岸のポップアート運動の中で絵画、コラージュ、版画を制作
します。
またコンセプチュアル・アートとしての特徴を持った写真によるアーティスト本を
自費出版で多数発表しています。
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アレックス・カッツ
Alex Katz(1927年7月24日-)
ポップ・アートの画家、アレックス・カッツは1927年ニューヨークにて生まれます。
1950年代以降。写実性を保ちながらも抽象的であり表現的でもある独創的な
自然や肖像画を対象にした作品を数々発表します。
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ダン・グレアム
Dan Graham(1942年3月31日-)
1942年、アメリカ・イリノイ州に生まれます。
1960年代にアーティストとして活動を開始し、まだコンセプチュアル・アートとい
う用語すら知られていなかった時代に、雑誌等の印刷メディアを通して、同ムー
ヴメントの先駆けとなる言葉や図表を用いた作品を発表します。
1970年代には、フィルムやビデオを単に記録媒体として用いるのではなく、ハーフ
・ミラーや鏡と組み合わせ、独特の視覚体験をもたらすインスタレーションを生み
出しました。
1980年代にはパヴィリオン/彫刻という独自の芸術スタイルを発表します。
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ジャン=ミシェル・バスキア
Jean-Michel Basquiat(1960年12月22日-1988年8月12日)
1960年、ニューヨークにてプエルトリコ系移民の母親と、ハイチ系移民の父親の
間に生まれます。
スプレーを使ったグラフィティ・アートで80年代に突如として現れます。
1983年、アンディ・ウォーホルに認められ作品を共同制作するようになり若くして
成功しますが、薬物依存により27歳で死去。
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デイヴィッド・サーレ
David Salle(1952年-)
1952年、オクラホマ州に生まれます。
カリフォルニア美術研究所に学び、1975年以後ニューヨークを拠点に絵画作品
を制作。
ネオ・エクスプレッショニズム(新表現主義)の代表作家として活躍し、絵画のみ
ならず、写真や映画作品の制作など多岐にわたっています。
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キース・ヘリング
Keith Haring(1958年5月4日-1990年2月16日)
ストリートアートの先駆者と呼ばれる画家、キース・ヘリングは1958年ペンシルベ
ニア州に生まれます。
1980年代にニューヨークの地下鉄構内のサブウェイ・ドローイングにより知られ、
その後ニューヨークのマンハッタン、アムステルダム、パリの壁画、ベルリンの壁
の壁画を制作しました。
1990年、31歳の若さでエイズにより死去。生前はAIDS撲滅活動に積極的に関わ
りポスターなどを制作しています。
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ジュリアン・シュナーベル
Julian Schnabel(1951年10月26日-)
1951年、ニューヨークのブルックリンに生まれます。
1970年代末に、壊れた陶器の皿をカンヴァスに張りつけた作品が話題になり、
1980年代のネオ・エクスプレッショニズム(新表現主義)の中核をなす画家として
活躍します。
亡くなった友人バスキアを主人公にした映画「バスキア」を撮った映画監督でも
あるほか、新表現主義の作家たちを世に送り出しています。
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ジェニー・ホルツァー
Jenny Holzer(1950年- )
1950年、アメリカ・オハイオ州に生まれます。
1970年代後半より自作のテキストを使用した、LEDを使用した表現を中心に、
様々なメディアの作品を発表しています。
テキストは多様な現代社会の状況を反映した格言的な、時として過激であり、
戦争や戦地での女性被害者達を題材とした詩的な内容を発表しています。
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ジェームズ・タレル
James Turrell(1943年-)
1943年、アメリカ・ロサンゼルスに生まれます。
大学で知覚心理学と数学を学んだ経歴から、光を繊細にコントロールした一連
の作品は、人間の知覚の生理に直接働きかけることを主題とした、インスタレー
ション作品や空間を多く作っています。
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ジェニファー・バートレット
Jennifer Losch Bartlett(1941年3月14日-)
1941年、アメリカ・カリフォルニア州ロングビーチで生まれます。
エール大学大学院卒業後、1970年代のミニマル・アートのスタイルから制作を開
始します。
その後シリアル・ペインティングの旗手となり、パネルを組み合わせた作品などを
発表しています。
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ジョナサン・ボロフスキー
Jonathan Borofsky(1942年-)
1942年、アメリカ・ボストンに生まれます。
エール大学などで美術を学び、1980年代から高い評価を得ます。
立体、平面、ウォールドローイング、ヴィデオ、ゲームなど、多彩な表現方法で
現代社会の状況や人間の内面を表します。
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ロバート・ロンゴ
Robert Longo(1953年1月7日-)
1953年、ニューヨーク・ブルックリンで生まれます。
1981年、写真を精巧に模写した、木炭やグラファイトを用いたドローイングに
よる絵画作品「メン・イン・ザ・シティ」を発表し、高い評価を得ます。
その後、絵画や版画のみならず、ビデオアートや映画制作の分野にも進出
しています。
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アド・ラインハート
Ad Reinhardt(1913年-1967年)
1913年、ニューヨーク州バッファローに生まれます。
1950年代からモノクロームな作品を制作し、黒一色の画法が有名です。
ミニマリスト、抽象表現主義の代表的アーティストです。
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リチャード・ディーベンコーン
Richard Diebenkorn(1922年4月22日-1993年3月30日)
1922年、アメリカ、オレゴン州ポートランドで生まれます。
初期はニューヨークで抽象画を描いていたが、その後人物画を経て、
具象画へと移行しましたが、抽象画 とも風景画ともつかない、色彩の
組み合わせの作品が特徴です。
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エリック・フィッシュル
Eric Fischl(1948年3月9日-)
1948年、ニューヨークで生まれます。
1972年、カリフォルニア・インスティテュート・オブ・アーツ卒業し、1980
年代後半のニューペインティング以降の新しい具象絵画を独創的に制
作するアーティストです。
若者の性衝動をテーマとしたり、効外居住者の些細な出来事をストーリー
仕立で扱う画家として国際的に注目を集めています。
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リチャード・エステス
Richard Estes(1932年-)
1932年、アメリカ・イリノイ州に生まれます。
1960年代から、ニューヨークの街並などを写真のようにリアルに油絵で描き、
しかも写真そっくりに描くのではなく、風景を再構成し独自の世界をつくりあげ
るスーパーリアリズム(超精密描写絵画)の画家として高い評価を得ます。
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サム・フランシス
Sam Francis(1923年6月25日-1994年11月4日)
1923年、カリフォルニア州に生まれます。
カリフォルニア大学で植物学、心理学、医学を学びます。
1950年、パリに渡って抽象画家として認められ、パリ、ニューヨーク、東京の
スタジオを行き来きしながら、鮮やかな色彩がほとばしる、「にじみ」の効果を
生かした表現方法など、日本美術の影響が見られる独特の作品を創作しました。
今回はシュルレアリスム(Surréalisme)の特集です。
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1924年、アンドレ・ブルトンのシュルレアリスム宣言から始まった
芸術運動。ジークムント・フロイトの精神分析の思想の強い影響下
にあり、個人の意識よりも、無意識や集団の意識、夢、偶然等を重視。
美術、詩、文学、政治などの広い範囲で想像力の解放と合理主義への
反逆を唱え、人間自体の精神の自由と変革を目指すことを目的とします。
絵画・写真においては自動記述やコラージュ(貼り付け)や、フロッタ
ージュ(こすり出し)、デカルコマニー、グラッタージュなどの技法を
使い、無意識の世界を表現したり、事物のありえない組み合わせなどを
写実的に描いたり、撮影するといった画家や写真家らが現れました。
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シュルレアリスム関連の画集、作品集、関連書籍は買取重点商品です。
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サルヴァドール・ダリ
Salvador Dali(1904年5月11日-1989年1月23日)
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ルネ・マグリット
Rene Francois Ghislain Magritte(1898年11月21日-1967年8月15日)
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ジョアン・ミロ
Joan Miro(1893年4月20日-1983年12月25日)
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マックス・エルンスト
Max Ernst(1891年4月2日-1976年4月1日)
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ハンス・ベルメール
Hans Bellmer(1902年3月13日-1975年2月23日)
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マルセル・デュシャン
Marcel Duchamp(1887年7月28日-1968年10月2日)
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ポール・デルヴォー
Paul Delvaux(1897年9月23日-1994年7月20日)
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レオノール・フィニ
Leonor Fini(1907年8月30日-1996年1月18日)
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レメディオス・バロ
Remedios Varo(1908年12月16日-1963年10月8日)
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ジョルジョ・デ・キリコ
Giorgio de Chirico(1888年7月10日-1978年11月20日)
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アルベルト・ジャコメッティ
Alberto Giacometti(1901年10月10日-1966年1月11日)
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クロヴィス・トルイユ
Camille Clovis Trouille(1889年10月-1975年9月)
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イヴ・タンギー
Raymond Georges Yves Tanguy(1900年1月5日-1955年1月15日)
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トワイヤン
Toyen(1902年-1980年)
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アンドレ・ブルトン
Andre Breton(1896年2月19日-1966年9月28日)
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瀧口修造(1903年-)
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40-1950年代アメリカで生まれた抽象表現主義の特集です。
(抽象表現主義関連の画集・美術書は高価買取させていただいています)
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第二次大戦後の1940-1950年代アメリカで開花した非幾何学的な抽象絵画
運動。
1940年代前半、第二次世界大戦の戦火を避けて、ヨーロッパからシュル
レアリスム、抽象絵画、バウハウス関係者など、美術家、音楽家、建築家、
デザイナーらあらゆる種類の前衛芸術家がニューヨークに亡命。
また、第二次大戦に大勝したアメリカは産業、政治面で世界をリードする
地位に立った。その強大な国力はすぐに芸術面においても反映され、ヨー
ロッパの前衛を担う人々がアメリカに移ってきたことにより、ニューヨーク
が芸術世界の中心地になり、やがて行き詰まった近代絵画はモダニズムの
影響も受け、アメリカの若い画家たちにより、さらに先鋭的な絵画へと発展した。
抽象表現主義の特徴としては、5メートルを超える超大型のキャンバスを
使い、それを描く画面とせず抽象的な色や形を叩きつけるフィールドとしたり、
アクション・ペインティングと呼ばれる激しい筆致、カラーフィールド・
ペインティングと呼ばれる少ない数の色彩によって観客を包む場を形成する
オールオーバーな絵画である。
1950年代後半には刃の鋭い縁のように、絵画表面もその理論も研ぎ澄まされた
画風、ハード・エッジと呼ばれる領域までに行き着いた。
抽象表現主義は1960年ごろから、抽象表現主義はネオダダやポップアートなど、
廃物や大衆的なイメージなどを流用した具象的な美術が現れ影響力を失う。
抽象表現主義の美術家たちはその後も一貫して制作を続け、ミニマルアートに
つながるなど、後の画家にも影響を与えている。
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抽象表現主義関連の画集、作品集、関連書籍は買取重点商品です。
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ジャクソン・ポロック
Jackson Pollock(1912年1月28日-1956年8月11日)
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ウィレム・デ・クーニング
Willem de Kooning(1904年4月24日-1997年3月19日)
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マーク・ロスコ
Mark Rothko(1903年9月25日-1970年2月25日)
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エルズワース・ケリー
Ellsworth Kelly(1923年-)
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フランク・ステラ
Frank Stella(1936年5月12日-)
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