戦後のアメリカの美術に影響を与えた!ニューヨーク・ダダとは
■ ニューヨーク・ダダ
芸術やアートという言葉を聞いて、どんな作品や芸術家を思い浮かべますか?
中には、ミロのヴィーナスなどの古典的美術品や、ピカソなどの現代的アートを思い浮かべる方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
様々な種類の芸術やアートがありますが、前衛的な表現を行うアーティストや作品が存在します。
そこで今回は、戦後のアメリカ美術に大きな影響を与えた「ニューヨーク・ダダ」と呼ばれる芸術運動についてご紹介します。
□ニューヨーク・ダダとは
そもそもダダとは、第一次世界大戦の頃に起きた前衛的な反芸術運動のことです。
すでにある固定化された概念に対抗し、新しい芸術を生み出すことを目的としているのが特徴です。
ダダの始まりは、スイスのチューリッヒに戦乱を逃れてやってきた芸術家たちによって始められました。
ニューヨークでのアーティストの集まりも、このチューリッヒでの集まりと共通性があり、反芸術運動の方向性も似た点があることから、ニューヨーク・ダダと呼ばれ、活動するようになりました。
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□代表的な芸術家
*フランシス・ピカビア
ピカビアはダダの創設者の一人です。
16歳の時にパリの装飾美術アカデミーに入学し、早くから芸術の研究を重ねてきました。
様々な芸術の形を模索してきたピカデアは、ヨーロッパの前衛芸術を紹介したギャラリーに訪れ、芸術に対する活気に感動しました。
それからは、ニューヨークとヨーロッパを頻繁に行き来しながら活動するようになり、チューリッヒ・ダダの活動にも参加します。
ニューヨークに戻った後は、マルセル・デュシャンやマン・レイらと、ニューヨーク・ダダを結成し、活動しました。
*マルセル・デュシャン
若い頃から画家として認められていたデュシャンは、1910年頃にピカデアと芸術に対する議論を交わすようになります。
第一次世界大戦が終わると、ニューヨーク・ダダの運動に積極的に参加するようになりました。
デュシャンの「泉」は20世紀現代美術を象徴する作品として有名であり、既製の品物を用いながら、それをアートにしてしまう「レディ・メイド」と呼ばれる手法を使った代表作です。
*マン・レイ
ニューヨーク・ダダのアーティストとして活動したアーティストです。
様々な表現手段を使った作品が生み出されており、1930年頃には写真界でも大きな功績を残しました。
以上、戦後のアメリカ美術に大きな影響を与えた「ニューヨーク・ダダ」と呼ばれる芸術運動についてご紹介しました。
現代の美術に興味を持たれた方は、美術書などを読んでみてはいかがでしょうか。